フォロー中のブログ
検索
以前の記事
2017年 05月 2016年 11月 2016年 10月 2016年 09月 2016年 08月 2016年 07月 2015年 07月 2015年 05月 2015年 04月 2015年 03月 2014年 11月 2014年 08月 2014年 07月 2014年 06月 2014年 05月 2014年 04月 2013年 08月 2013年 07月 2013年 05月 2013年 03月 2013年 01月 2012年 12月 2012年 10月 2012年 06月 2011年 10月 2011年 06月 2011年 03月 2011年 02月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 その他のジャンル
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
2014年 06月 02日
「Odyssey of Iska 1984」 32.バルセロナ事件 昼過ぎまでカルカソンヌにいたので、スペイン国境に着いた時はもう日は傾いていた。 パスポートチェックのために一旦列車を降り、それが済むと別の列車に乗り換えた。 フランスとスペインでは軌道の巾が異なるためそうするのだ。ちょっとびっくりした。 車窓から外を眺めていると、荒れた土地に搭状の建物がいくつか見える。ナポレオンではないが、ピレネーを超えると風景が少し違って見える。 バルセロナに着いたのは夜9時近くで、外は真っ暗だった。しかも地下駅から地上に出ても、初めての国、初めての街なので、今自分がどこにいるのかさっぱりわからない。 これが第1の失敗だった。(知らない国や知らない街には明るい間に着かなければならない) 駅の両替屋は既に終わっているので、どこかでペセタに換えなければならない。 通りの向こうにいかにも立派な面構えをしたホテルが見える。レートは悪いが、まずはここで換えるしかない。 フロントに行ってパスポートとトラベラーズチェックを見せ、1万円分換えた。 とても暑かったので、パスポートと現金、トラベラーズチェック、帰りの航空券を入れたショルダーケースを身体から外し、一時的にショルダーバッグの中にしまった。カメラやウォークマン、メモ帳やアドレス帳など重要な物がこの旅で初めて一堂に会した。 これが第2の失敗だった。(重要な物は分散し、最も重要な物は身から離してはならない) 「ホテル・ガウディ」に泊ろうと思っていたので、ガイドブックの簡単な地図を頼りにゆっくりランブラス通りを下って行った。 どうやら近くまで来たので、もう一度地図をきちんと見ようと、通りの広場に並んでいるイスの一つに腰掛けた。そして背中のバックパックを前に、ショルダーバッグを横に置き、街灯の明かりで地図を見た。 これが第3の失敗だった。(重要な物は身から離してはならない。ましてや目を離してはならない) 突然、暗闇の中から気の弱そうな痩せた若者が現れ、ペラペラと話しかけながら鼻先で2本の指を動かし「タバコをくれ」というモーションをした。 持っていないので「ノン」と言う。 ふたたび若者がペラペラ言いながら同じモーションをするので、やはり「ノン」と言う。 そして足元を見た。 ショルダーバッグが無い!! そして前を見ると、若者もいない!! やられた!! 奴はオトリで、もう1人がやったのだ。 だが後ろを見ても誰もいない。 私の頭は一遍で沸点に達した。 目の前を通り過ぎる通行人が見える。 彼らに向かって叫んだ。 「今、俺のバッグを盗った奴を見なかったか?!」 すると、思いもかけないリアクションが返ってきた。 「ワ〜イ、盗られた!盗られた!」 そう言って、何人かが手拍子をして喜んだ。 その瞬間、私の頭の温度はストーンと落ちて、ほぼ平常心に戻った。 「そうか、ここはスペインなんだ。何があってもおかしくはないんだ」 そしてすぐそばのゴミ箱を見た。 パリのスリは盗んだ財布は中味だけ抜いて札入れとパスポートはすぐそばのゴミ箱に捨てるかポストに捨てる、という話を思い出したからだ。 だが、ここはスペインで、そういうシャレたことは起こらなかった。 私はなぜだか冷静だった。 「こういう時は最初に水を飲まなくては」 通りを下って来る途中にマクドナルドがあることを思い出した。 そちらに向かって歩き出した。 マクドナルドに着くと冷たいジュースを頼んだ。 注文を聞いて、店員の女の子が「Yes」と言った。 しめた!と思った。 「Do you speak English?」と聞くと、ふたたび「Yes」と言う。 私は先ほど起きた事件をワッと話した。すると女の子は 「ここに座って待っていれば、もうじき店長が来てあなたをフォローします」と言った。 私は礼を言い、ジュースを持って席に座った。 すると目の前にいる痩せた禿鷹のような顔をした女が突然、日本語で話しかけてきた。 「あなた、ニホンジン?」 「そうです」 「実は、わたしはフリオ・イグレシアスのともだちだ」 そう言ってボロボロのフリオ・イグレシアスの写真を取り出し、私に見せた。 (バーカヤロ〜!さすがに2度騙されるほど俺は間抜けじゃネ〜!) だがよく見ると、日本人の顔をした赤ん坊が彼女の横の乳母車の中にいる。 話を聞くと、日本人と結婚して日本に住んでいたが、離婚してスペインに戻ってきたとのこと。戻ってきても仕事は無く、生活は大変らしい。 私も先ほどの事件の話をする。すると、よくあることだと言い、警察署に自分も一緒に行ってやると言う。聞くと領事館や電話局、郵便局の位置などもよく知っている。 確かに怪しい女だ。だが、俺は着いたばかりでバルセロナの地理がさっぱりわからない。このピンチを脱出するにはこの女と折り合いをつけながらやるしかない。そう思った。 次の瞬間、革ジャンの右側のポケットに入っていた両替したペセタを女にはわからないように2つに分け、左右のポケットにしまった。なぜそのような行動を無意識のうちにおこなったのかわからないが、旅をして行く中で自然と身についた嗅覚かもしれない。 警察署に着き、2階の廊下の待合室で2時間近く待った。 時計はとっくに次の日になっている。 目の前にいる女の子が突然、号泣し始めた。それはどんどん激しくなり、この世の果てのように泣き叫ぶ声が建物中に響き渡り振動した。 理由はさっぱりわからない。だが、その光景を見ながら、 (この子の悲しみに比べたら俺の悲しみなんて全然大した事ないな!) と思った。 私の番が来た。部屋に入ると、正面に担当者、横に記録者、周りに同僚がうやうやしく並び、全部で5人くらいの警察官が私の話に聞き入る。 私が話したことを女が通訳し、それを記録者がタイプしながら読み上げ、その度に全員が声を上げた。 「盗まれた物。 トラベラーズチェック50万ペセタ」「オ〜〜〜〜!」 「現金5万ペセタ」 「オ〜〜〜〜!」 「帰りの航空券」 「オ〜〜〜〜!」 「パスポート」 「オ〜〜〜〜!」 「日本製カメラ」 「オ〜〜〜〜!」 「ウォークマン」 「オ〜〜〜〜!」 「革のショルダーバッグ」 「オ〜〜〜〜!」 ・・・・・・・・・・ そして最後に担当者がうやうやしく演説をした。 「我がバルセロナ警察は全力を挙げて犯人を逮捕し、 貴殿の盗まれた品々をすべて返却できるよう全力で努力することをここに誓う」 私はそれを聞いて思わず拍手した。 ところが次の瞬間、全員が立ち上がり、さあ、食事だ!食事だ!と退散してしまった。 これを見て、盗まれた物は絶対戻って来ないと確信した。 外に出たら夜中の3時を過ぎていた。 「お腹が空いたでしょ?」と女が言う。 お腹は空いていないが、興奮しているせいか喉は乾いた。そう伝えると、 「いいレストランを知っている」と言う。 しばらく歩いてセルフのレストランに行った。 店内はやや暗めで、落ち着いたモダンなデザインの店だ。 グルッと廻ったがやはり何も食べる気にはなれず、結局ビール1本をトレーに載せレジに並んだ。 後ろを振り向くと、ビックリしたことに、女が山盛りの食べ物をトレーに載せている。 「ここ、あなたが決めた。だから、これ、あなたが払う」そう言った。 片方のポケットに手を突っ込み、手に触れたペセタを出した。足りた。 女と赤ん坊が食べ終わるのを待って外に出た。 「眠いでしょ?」 そりゃ、眠いに決まっている。 「いいホテルを知っている」と言って、すぐそばの立派なホテルに入ろうとした。 「俺は重要な物を全部盗まれたんだよ。お金が無いことぐらいわかるでしょ?」 そう言って、さっき払ったお金のつりを見せた。すると女は 「わかった」と言って、今度は通りをどんどん下って行った。 海のそばまで来たところで急に狭い路地に入った。 突き当たりの倉庫、というかボロボロの牢屋のような建物の前で門番のような男と何やら話を始める。門番は小さな窓から私の顔を眺め、指を左右に振る。 「わたしとこどもは泊れるが、あなたはパスポートを持っていないので泊れない」 そう、女が言った。 私は警察署で作ってもらった盗難調書の写しを見せながら、門番にどなった。 「お前らの悪い仲間が俺の物を盗んだからこうなったんで、俺が悪いわけじゃない! これはお前らスペインのせいだ!!」 女は笑いながらそれを通訳し、門番は渋々泊めることにOKした。 「部屋は1つで、ベッドも1つでいいか?」と女が聞いた。 「冗談じゃない!部屋は2つで、ベッドも別だ!!」 結局、日本円にして600円くらい払った。1部屋300円!! もちろん、この旅で一番安い宿泊だった。だが、それなりの宿泊だった。 部屋はボロボロのレンガが剥き出しで、鉄の扉も錆び付いていた。鍵は何とかかかったが、本当に牢屋のようだった。(たぶん、船乗りか港湾労働者の簡易宿泊所だったのだろう) ベッドの生地は破れ、スプリングが見える。おまけに動いている虫もいる。 だが、文句は言えない。 明け方の5時近くだった。 私は明朝起きてからしなければならないことを小さな紙に書き出し、それに番号を振って行った。次にバックパックから寝袋を取り出し、頭までスッポリ覆って鼻だけ出すと、チャックを目一杯上まで上げた。何が起きてもいいよう電気は付けっ放しのまま寝た。 こうして長い一日が終わった。 かずま #
by odysseyofiska4
| 2014-06-02 20:09
2014年 05月 27日
「Odyssey of Iska 1984」 31.カルカソンヌ コート・ダジュールは一通り観たので地中海をグルッと廻ってスペインに行こうと思った。 途中、カルカソンヌに寄って。 カルカソンヌはヴィオレ・ル・デュクによって修復されたすばらしい城塞のある街で、城マニアの私としてはどうしても抜かすことのできない街だった。 ニースを早く発ったつもりだったが、途中ヴァンス寄ってマチスのロザリオ礼拝堂を観たので、着いた時はもう暗かった。(ロザリオ礼拝堂はマチス美術館で観たエスキス模型ほどは感動しなかった。情念がさらりと抜け落ちたような感じだった) 駅のインフォメーションで聞いた安宿で荷物を解くとすぐに街に出た。 レストランが何軒かあり、ここなら多分当りだろうと直感した店に入った。 案の定、当りだった。 客はまばらだったが、雰囲気がよかった。おまけに誰かがピアノでJazzを弾いている。 それに誘われ、ピアノの前の席にすわった。 明るいピアノで、凄く上手いというわけではないが、心を込めて弾いてて好感が持てた。 毎回弾き終わる度に大きな拍手をした。すると向こうも気がつき、こっちを向いて笑顔を返す。そして増々ノッテ来る。終いには二人だけでやり取りしているような感じになった。 何かリクエストは? というので、パリで買って以来ずっと聞いていたジャンゴ・ラインハルトの「ジャンゴロジー」に入っている「ラ・メール」(海)をリクエストした。 フランス人なら当然知ってるだろうと思ったのだが、どうやら弾くのは初めてらしく、まごついてる。とうとう私が「ラ・メール」をスキャットで演りながら誘導して1回限りの「ラ・メール」が完成した。 その後、二人で多いに飲み、夜遅くまで話をした。記憶に残る夜となった。 翌日は朝から城塞に行った。 城壁の中は完璧な中世の街並だった。とてもおもしろかった。夢中で写真を撮った。昼過ぎまでかかってエクタクローム2本分くらい撮った。 外の城壁の周りを歩きながら、これだけ厳重な城で守らなければならなかったのだから、昔のヨーロッパは戦争ばかしやってたんだな、大変だったんだなと思った。 普通は城塞を中心に街は築かれるのだが、カルカソンヌは城塞がポツンと街の片隅にある感じで発展して行った。この城壁を壊して街をつくるよりその方が簡単だったのだろう。 おかげで美しい中世をまるでテーマパークのように観ることができる。 幸運である反面、ちょっと出来過ぎてるなとも思った。 これから南下してスペインに入る。 その前にカルカソンヌでとてもいい休養ができた。そう思った。 その気の弛みが失敗のもとだったのかもしれない・・・ かずま #
by odysseyofiska4
| 2014-05-27 19:52
2014年 05月 18日
「Odyssey of Iska 1984」 30.アンティーブ & ヴァロリス ピカソの美術館は世界中にいくつもあるが、南仏の2つの美術館は実際、ピカソがそこに滞在し、生活しながら制作に没頭した所なので、格別の味わいがある。また、そこに行くことでピカソを追体験することができる。 アンティーブはニースとカンヌの間にある風光明媚な港町だ。 ローマ帝国時代から交通の要地で、昔は城塞で囲まれていた。(今でもその名残は海側に残っている) ピカソ美術館のあるグリマルディ城もその城塞の一つで、海に面している。 ピカソは第二次世界大戦中パリでドイツ軍に幽閉されたが、戦後解放されるとすぐに南仏にやってくる。そして精力的に再び画を描き始める。愛人のフランソワーズ・ジローを伴ったそこでの生活はピカソの人生で一番幸福な時代だったかもしれない。その気持ちが画によく表れていて、私はこの時代の画が(それ以前の「ドラ・マールの時代」と同じくらい)好きだ。 特に「生きる喜び」は好きだ。 海をバックに1人の女と4人の牧神達がつくりだすコンポジションはとても素敵だ。 真ん中で踊る女はフランソワーズ・ジローで、左で笛を吹く牧神はたぶんピカソだろう。 おおらかで幸福な気持ちが自然と伝わって来る。 10年程前に描かれた「ゲルニカ」と比べるとエライ違いだ。(もちろん「ゲルニカ」は「ゲルニカ」でとても素敵だが・・・) その他の画も幸福な気分が伝わって来る。 やはり、地中海は偉大だ!! 人の心を明るく変えてしまう。 屋上のテラスで海を見ながらそう思った。 美術館の隣は大きな教会だった。中を覗くと丁度ミサをやっていた。 ピカソやフランソワーズ・ジローもミサに出たのかしらんと思いながら、しばらくそれを見ていた。 次の日は昼頃カンヌに行ってランチした。 映画祭がもうすぐ始まるらしかったが、私の目的はそれではなく、ヴァロリスのピカソ美術館に行くことだったので、それほど街は真剣に見なかった。 山道を30分くらいバスに乗ってヴァロリスに着いた。 ヴァロリスは陶芸で有名な街で、ピカソの晩年の陶芸熱はここから始まる。 また、フランソワーズ・ジローの次の愛人であり妻になるジャクリーヌ・ロックに出会うのもヴァロリスだ。 ピカソ美術館は街のほぼ中心にある城にあった。 行ったら、なんとその日は休日だった! ちょっとショックだったが、なかなか風情のある城だったので、中庭に佇みスケッチをした。とてもいい風が吹いていた。 その後、ヴァロリスの街を歩いた。 小さな街で、観光客向けの土産物屋がいくつかあるが、それほど毒された感じはしない。山間の避暑地として品がある。 ピカソもそんな風情が気に入ったのだろう、この街で7年間を過ごし「戦争と平和」という壁画まで街に残している。 その後、ピカソはすぐそばのムージャンに移り、「ノートル・ダム・ド・ヴィ 」という城で最晩年を過ごす。傍らにはジャクリーヌがずっといた。 デビッド・ダグラス・ダンカンの「グッバイ・ピカソ」という写真集にはこの頃の幸福な姿が捉えられている。 嵐のような時代を生きたピカソも最後は静かな港に着き、やがて船を降りた。 かずま #
by odysseyofiska4
| 2014-05-18 15:00
2014年 05月 06日
「Odyssey of Iska 1984」 29.ニース マルセイユを夜遅く発ち、ニースには明け方着いた。 初夏のような陽気だった。一辺で明るい気持ちになった。 コート・ダジュールの美術館巡りはここを基地に出かけよう。 駅のインフォメーションで教わったホテルを何軒か廻って、そのうちの一つに決めた。 荷物を整理し、シャワーを浴びてランチに出かけた。 屋外のテラスで本場のニース風サラダを食べた。(パリにいる頃からランチはよくニース風サラダとワインを頼んだ) 明るい日差しの中で食べるランチはおいしい。 疲れていたので美術館巡りは明日からにし、今日は街中で過ごすことにした。 歩いていたら映画館があり、「愛と追憶の日々」をやっている。 まだ観てなかったので入った。失敗した。 てっきり英語でやってると思ったらフランス語に吹き替えられてた。 (ヨーロッパではこういうことはよくある。Original Voice かその国の言語か最初にチェックしなければ) あのアクの強いジャック・ニコルソンが鼻にかかったフランス語をしゃべるので興醒めし、出ようかと思った。だが、しばらく我慢して観ているうちに、この映画は紛れもなくアメリカ映画だなと感じた。 テンポとカット割りがまるで違う。 ヨーロッパ映画とアメリカ映画はいろんな点で本質的に違うのだ。 言葉は10%くらいしかわからなかったが、映像の力でストーリーはほとんど問題無く理解できた。ただ、ジャック・ニコルソンは、やはり Original Voice の方がいい。 次の日は郊外のサンポール・ド・ヴァンスにあるフォンダシオン・マーグに行った。 緑の小高い丘を上って行くと、セルトのつくった、特徴的なトップサイドライトの屋根が見えて来る。セルトはコルビュジェの弟子だから当然コルビュジェ言語で建物はできているのだが、もう少しおとなしく、品の良い感じだ。(だが私はコルビュジェの荒々しさの方が好きだ) 館内や野外にシャガール、マチス、ブラック、ジャコメッティ、ミロの作品がおもちゃ箱をひっくり返したように並び、自然と解け合って、アートの楽園のようだ。 村自体も品があり、歩いていて楽しい。 3日目はマチス美術館に行った。 コート・ダジュールに来たのは、ピカソの美術館とマチスの美術館を観たかったからだ。 この二人は同じ時代に生き、同じ画家の道を歩んだが、選んだ方法は違っていた。 ピカソは時代と拮抗して、常にアグレッシブな表現主義者であり続け、マチスはそれとは距離を置き、常に優美な芸術家であり続けた。だが、注意深く見て行くと意外と二人は似たような所があり(特に後半生)、明らかにシンクロしている。 私はピカソから入ったが、ある時からマチスも同じくらい好きになった。特にのびのびした素描の線は好きだ。また、晩年の軽妙洒脱な「Jazz」の切り絵も好きだ。 それらをこの美術館で堪能した。 だが、一番おもしろかったのは、ヴァンスにあるロザリオ礼拝堂のための習作だ。 特に大きな手作りの稚拙なエスキス模型は良かった。 一つ一つの手触りまでもが伝わって来る。 たぶん、一度でも建築をやったことのある者なら堪えられない感覚だ。 建築家マチス、インテリアデザイナー・マチスを感じることができる。 司祭の礼服のデザインもおもしろかった。 美術館を出る頃には(ニースに居る間にヴァンスに行こう)と心に決めていた。 4日目はシャガール美術館に行った。 シャガールはマチスやピカソとほぼ同年代に活躍し、年齢的には一番若いが、二人のように絵画の革新のために寄与する、というよりむしろ絵画の本質に寄与した画家だ。 モチーフがいつもどこか夢見るようで、色彩もファンタジックなものが多い。 甘いと言えば甘いのだが、アンドレ・マルローの依頼で描いたパリのオペラ座の天井画はとても好きだ。周囲の古典的な装飾の中にあって色彩が強烈かつモダンで、その対比はとてもおもしろい。 この美術館でもその色彩感覚を十分に堪能することができる。 ピカソもマチスもシャガールも、若い頃や壮年期はパリを活躍の場としたが、晩年は南仏のコート・ダジュールに移り住み、悠々自適に自分の絵画を熟成させて行った。 確かにこの地には、そうした人の心を開放し、のびのびさせる何かがある。 別に高級避暑地だからそうだと言ってるのではない。 白と青と緑の明るい地中海の解放感が素敵なのだ。 人間は本質的にそういうものを欲する動物なのだ。 おかげで私も解放された。 だが、それが数日後にエライことになって返って来るとは、その時は知らなかった。 かずま #
by odysseyofiska4
| 2014-05-06 19:52
2014年 05月 02日
「Odyssey of Iska 1984」 28.マルセイユ ラルブレルからリヨン経由でマルセイユに着いたのは夜6時頃だった。 駅前に妖しいお姉さんが何人か佇んでいる。 さすが港町だなと思った。 こういう、どこか妖しい胡散臭い所があって、乞食や泥棒のいる街でないと人生おもしろいことはない、というのがそろそろ分かりかけてきた。 だが、私がこの街に立ち寄った理由(わけ)は単にコルビュジェのユニテを見るのが目的で、(その後ニースへ行こうと思っていたので、)最初からここは一泊と決めていた。 駅のインファメーションで教えてもらった安ホテルで荷物を下ろすと、ホテルの主人に教えてもらった地元の人が行く生牡蠣の店に直行した。 港からほど近いその店は当たりだった。 まず、石畳がそのまま店の中まで続いている。その通路の両脇に生牡蠣の入った籠がこれでもか!というくらい並んでいる。そこを通り抜けて席に着く。レストランというより市場の中にいる感じだ。生牡蠣とシャブリを頼む。しばらくして鉄の2段の器に載った氷と生牡蠣がたんまり運ばれて来る。そしてそれを口に入れた時の驚き。 しょっぱい!! まるで海を食べているようだ!! そしてシャブリを飲んだ時のさらなる驚き。 ビリビリ来る!! まるで電気だ!! だが、この海と電気の結婚は最高だ!!! やはり食と酒は地元に限る。東京でこの体験はありえない。 次の日は雨だった。 バス停で出会った人にマルセイユのユニテに行きたいと言うと、 「このバスに乗って『ル・コルビュジェ』で降りろ」と言う。 怪訝な顔をしてバスに乗り、しばらくするとその名のバス停に着き、降りると目の前にユニテがあった。 サヴォワ邸に行った時も、確か降りたバス停は「リセ・ル・コルビュジェ」だった。そしてすぐそばの高校の名は「ル・コルビュジェ」だった。 フランスはおもしろい国だ。個人をとても尊重し、その人がやった業績が高く評価されると、通りも、地名も、建物も、バス停も、高校も、皆その人の名で呼ばれる。 日本はその逆で、個人の業績でその人の名が付くことなど滅多にない。 はじめにピロティ下に行く。柱がぶっとくて、縄文時代の女の像を脚元から見上げるような感じだ。荒々しいコンクリートの打ち放しはなかなか迫力がある。 このユニテの工事中('45~'52)に現場を見たヨシザカはさぞかし感銘を受けたことだろう。 中に入る。メゾネット形式でできているので、エレベーターは3階ごとに停まる。通路は暗い。 途中の店舗や郵便局がある共用施設階に行く。この建物が単なる住居の集合体ではなく一つの街として理想郷をつくろうとしたことがひしひしと感じられる。 それをさらに強く感じるのは屋上だ。子供の遊び場やプール、体育館、保育園などがあり、子供達が遊んでいる。 しばらくその場に佇んでいると、客船の甲板にいるような感じがして来る。 たぶんコルビュジェは、この建物を船のメタファーを借りながら設計したのだろう。 外観のカラフルなブリーズ・ソレイユもそうした思いを強くさせる。 コルビュジェが長年考えて来た都市への熱い思いがやっと叶えられたという気持ちがこの建物からは伝わって来る。思いの丈をすべてぶつけている。だから凄く迫力がある。 後期コルビュジェの門出を飾るにふさわしい建物だ。 身体が冷え切ったのでブイヤベースを食べることにした。 港に行き、波止場を歩いていたら、おあつらえ向きの店があった。 中に入って窓辺のテーブルに腰掛け、灰色のハーバーをボーッと見ていたら、一羽のカモメがすぐそばに止まった。そしてじっとこちらを見ている。 お前も淋しいのかい? そう、言われたような気がした。 しばらくしてブイヤベースが出て来た。 熱いスープと海の幸が身体の中に入り、ふたたび生き返って行く。 ふと見ると、カモメはもういない。 その後もいろんな所でカモメと出会った。 もしかしたら、あのカモメが私とずっと一緒に旅してくれたのかもしれない。 かずま #
by odysseyofiska4
| 2014-05-02 21:17
|
ファン申請 |
||