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2014年 07月 07日
「Odyssey of Iska 1984」 37.マドリード(4) 初日に行って気に入ったレストランにはほぼ毎日通った。 そして席に着くと、無意識のうちに周りのスペイン人と同じように最初にベルトを緩めるのが習慣となった。 恐ろしいものだ。郷に入れば郷に従え、とはよく言ったものだ。 ここではよく食べると同時に、料理が出て来るまでの間、トイ面の人や周りの人をよく観察した、というか鑑賞した。 スペイン人もフランス人やイタリア人と同じで、美人をきちんと見ないのは失礼に当たる。きちんと見ないと、「私は美人じゃないの?」という顔をされるので、すべての人をきちんと見るようになる。その結果、毎日、人間観察をたくさんするようになる。 インパクトのある顔に出会うと、サングリアを飲んでいい気持ちになり始めた頃、自分の意思とは関係なく手が勝手に動き出し、スケッチを始める。 相手を見ずに膝の上のスケッチブック上に瞬く間に残像が立ち上がる。 やがてこの病気は日常化し、「3Seconds Sketch(3秒スケッチ)」というスケッチブックができがった。5秒では相手に気づかれ、「何?」という顔をされてしまう。 マドリッドのレストランはどこも魚介類が安くて美味しい。 だが、これは不思議でしょうがない。マドリッドは地図を見ればわかるようにスペインの真ん中の山の中にある。海から空輸してくるのかしらん? 余談だが、同じホテルに泊っているM君は私より先にマドリッドを発つことになっていた。彼と別れた日の夕方、彼の泊っていた部屋の前を通ると、何とまだいるではないか?! しかもベッドの上で苦しそうにもがいている。 聞くと、朝、旅行代理店に行って切符を買おうとしたら、バッグが空いてて、財布が無かったとのこと。(放浪中に会った日本人で盗難に遭ったのは(私も入れて)5人いるが、スペインが3人、残りはイタリアとフランスが1人ずつで、スペインの圧勝だった) しょうがないので銀行で金を降ろし、ムシャクシャしてレストランで魚介をヤケ食いしたら、腹痛を起こしたらしい。 次の日は薬で良くなり、今度は慎重に旅立ったが・・・ シエスタ(昼寝)にもまいった。 朝、店が開くのは10時頃だが、昼時にはレストラン以外はどこも一旦閉まる。そして3時間くらい休んでまた開くのだが、中には4時間くらい休む所もある。それでいて午後5時頃から店が閉まり始め、6時以降はほとんど買物は不可能になる。 私のように失くした物をゲインしたい者には、非能率的なことこの上ない。 一体、彼らには働く気があるのだろうか?? おもしろいと思ったのは、物と価格の差だ。 ホテル代と食べ物に限って言えば、スペインは最高だ。 だが、エクタクロームの36枚撮りのフィルムは1400円する。カメラは日本で買うよりべらぼうに高い。工業製品をここでゲインしようとはとても思わない。だが、日常生活に限って言えば、こんなに安くてリッチに暮らせる国は滅多にない。だから、少し稼いだだけで人生はバラ色になり、人々はあくせく働こうとはしない。その代わり、恋と芸術と音楽とサッカーに熱中する。 どちらが良いというのではない。国と国民が持ってる気質の差だ。 そして、どちらかというと、私はスペイン贔屓だ。 だから、スペインにいる間はとてもウマが合い、幸福だった。 かずま #
by odysseyofiska4
| 2014-07-07 22:39
2014年 06月 28日
「Odyssey of Iska 1984」 36.マドリード(3) 同じホテルに他にも2人の日本人がいて、すぐに友達になった。 一人は文部省のユネスコ職員のYさんで、ニューヨーク勤務が終わって日本に帰る途中、スペインに立ち寄ったとのこと。ヨーロッパを旅行するアメリカの若者が皆持ってる「地球の歩き方」の種本になった黒いガイドブックを持ってて、いろんなことを教えてくれた。 (マドリードのアイスクリームのランキング表はとてもおもしろかった) もう一人はロンドンから来たM君で、彼もなかなか好奇心おう盛で楽しい人だった。 このほか、M君が偶然知り合った若い日本人女性やお年を召した日本人画家(福沢一郎のことを「アイツが」と言っていたので、相当偉い人なのかもしれない)も入れて、多い時は5人で食事をしたり、フラメンコを観に行ったりした。 一人旅をずっとしてきた私にとって団体で動くのは逆に新鮮だった。 サン・イシドロの祭はマドリードの至る所でやっていたが、マヨール広場はそのメイン会場で、必ず何かの催しをやっていた。広場は完璧に閉じられた長方形で、サン・マルコ広場の開かれた感じに比べると窮屈で堅い感じがした。 スペイン王朝、というかスペイン人は、時々権力を笠に意外なくらい堅苦しい時もあるから不思議だ。 スケッチをしようと思ったが描く物がなかったので、落ちてた雑誌に描いた。(私は実際、描く物は、新聞紙でも五線譜でもメモ帳でもコースターでもナプキンでも何でもよかった) 画家の先生から変な奴だと思われた。 みんなで夕食を食べた後、再びマヨール広場に行ったら、その日の催しが終わった後で、清掃車が広場に入ってきた。バリバリバリ〜と凄い音がして、地面の至る所に投げ捨てられているワインの瓶を砕きながら回収した。 夜10時頃みんなでバルに行った時も驚いた。床に紙ナプキンが所狭しと落ちている。食べて汚したのや口を拭いたのを誰もゴミ箱に入れずポンポン床に捨ててるのだ。 その上を歩いてカウンターまで行き、ショーケースに入った魚介のマリネを小皿に取ってもらい、それを肴にワインを飲んだ。さすがに紙ナプキンを床に捨てる気にはならない。 きっと閉店後の清掃は凄いことだろう。 フラメンコを観に行った。 観光客向けのタブラオで、それなりにおもしろかったが、カルロス・サウラの映画「カルメン」(アントニオ・ガデスの踊りとパコ・デ・ルシアのギターが凄かった!)を東京で既に観ているので、こんなものかと思った。 それに気づいたのか、隣で観ていたスペイン人に英語で感想を聞かれた。正直に言うと、本物が観たかったらセビージャに行けと言われた。フラメンコの学校があるそうだ。ジプシーのフラメンコはもっと凄いぞ!と言われた。 私は元からアンダルシアには強く惹かれているので、「必ず行く」と答えた。 ただし、それは少し先の話になりそうだ。 ジャズも2回聴いた。 ジョー・ヘンダーソン4とモンティ・アレキサンダー3+1。 どちらも600円くらいで、信じられないくらい安い。 (ちなみに7月に北部のサン・セバスチャンで開かれるジャズフェスでは、ウェザー・リポートが1200円、マイルスが1350円で聴ける!! だが、その時はたぶん別の所を旅していて、さすがに来ることはないだろう) ジョー.ヘンダーソンはひどかった。 やる気があるのか、ないのか、なにしろ演奏に気が入ってなく、サックスの音も最悪、吹くフレーズもほとんどクリシェで、とうとう最後まで聴くことなく出てしまった。 それに引き替え、モンティの出来はすごく良かった。 ゲストのブラディ・バスのテナーも悪くはなかったが、それよりトリオになってからの3人のきびきびしたインタープレイは筆舌に尽くし難い。リズムがドラムではなくパーカッションだからか、まるで3人でスポーツを演ってるかのような爽快さだ。 私はデビュー当時のスティールドラムを多用したカリビアンなモンティしか知らないので、びっくりした。 他にも楽しいことはたくさんあった。 パスポートが再発行されてもこのままマドリードにいたい気分だった。 だが、それと同時に、私は盗まれた物を探しに、というよりは盗んだ犯人の顔を見に、もう一度バルセロナに行きたいと強く思うようになった。 かずま #
by odysseyofiska4
| 2014-06-28 22:12
2014年 06月 27日
「Odyssey of Iska 1984」 35.マドリード(2) 翌日から盗られて失くした物を店やデパートで見つけては一つ一つゲインしていった。 それと同時に、本屋で素敵な本や画集を見つけては買っていった。 (私は洋服や物には別段興味がないのでそれを欲しいとは思わないが、好きな本には躊躇なくお金を使う癖が昔からある) 日曜日の夕方、気づいたら、大使から借りた1万ペセタは使い切って財布にはほとんどお金が残っていなかった。 晩メシが食えない!! ホテルでは私がバルセロナで盗難に会ったことは有名で誰もが知っていたので、仲の良いアメリカ人夫妻に1000ペセタ貸してくれと頼んだが、 「Sorry! 私達は支払いはすべてカードなので現金は持っていない」 と言われた。すると、それを横で聞いてた小さな5才くらいの息子のモンロー君が、 「僕があげる!」と言って、ポケットからコイン200ペセタを差し出した。 夫妻も笑ってうなづいてるので、私はそれをもらって、スケッチブックにIOUを書いた。 そして彼に渡そうとした。 「それ、何?」 「僕がキミにお金を借りたという証明書だよ」 「いらない!ただであげるよ!! だってキミは旅をしてて、ボクラはきょうだいで、ボクはキミをあいしてるから!」 と言って、IOUの上から落書きを始めた。 それが終わると、裏に「I love you」のイタズラ描きを始めた。 私は笑って彼に丁重に礼を言い、200ペセタ(約300円)を持って、外に出た。 さすがに、この金で食える物は限られている。 私は嫌々ながらマックに行った。 実はバルセロナで水を飲もうと思って入ったマックがヨーロッパで初めてのマックだった。 そりゃそうだろ!! イタリアでもギリシャでもトルコでもフランスでも、ヨーロッパはどこでも安くて美味しいものがたくさんあるんだから、なんでマックになんか入る必要があるんだ?! プエルタ・デル・ソル広場にあるマックに入った。 メニューを見ると、ドリンクとバーガーとチップスのセットが250円くらいだ。 セーフ!! それを頼んで出てきた時、トレーを受け取るタイミングが少し遅れた。 すると店員の女の子は?という顔をして、ドリンクをジャーッとシンクに捨てた。 何すんだよ!と思った瞬間、ビールをジュワッとサーバーから注いでハイッと出した。 びっくりした。スペインではマックでビールが飲めるのだ! 喜んで、席に着いた。 正面を見て二度びっくりした。 5才くらいのガキンチョの男の子がビールを飲んでいる! ローマでガキンチョの女の子からタバコをくれ!と言われて以来の衝撃だ。 ヨーロッパは日本と違って大人社会でできている。 遊びや快楽も大人が中心で、だから子供は早くから大人になりたいと思い、実際、大人になるのが早い。(子供の頃から背伸びした子が多い) だが、日本は子供社会で、遊びや快楽も子供や若者が中心で、だから子供や若者はずっとそれを維持したいと思い、実際、モラトリアムを続ける人間が多い。 親や大人がそれを厳しく言わないので、平和でお気楽な、幼稚で成熟を拒む風潮が社会に蔓延している。 これを直すには小さい頃から世界旅行をさせ、自分の目で異なる社会を見て身体で考え行動し、痛い目に会いながら自らの答えを自分で出させるしかない。 私の場合もこの放浪は遅過ぎた。 大学に入る前か入った直後にやっていれば、その後の人生は大きく違っていただろう。 かわいかったら旅をさせなければならない。 獅子に育てたかったら崖から突き落とさなければならない。 それができない親や大人は失格だ。 翌月曜日、東京銀行で日本からの送金を受け取り、モンロー君に200ペセタと大きなリボンの付いたキャンディーを買ってあげた。 それから日本大使館に寄って、大使から借りた1万ペセタを返した。 その足で電話局へ行き、この旅の前に辞めた勤めていたK事務所に電話をかけた。 ゴッドマザー(秘書長)が出た。 事情を説明して、私が所員であるという文書のテレックスをこれこれまで送ってくれない?と話した。意外なくらいあっさりと「いいわよ」と返ってきた。 そして「高いわよ」と続けた。 思わず笑ってしまった。相変わらずのジャブだ。 パリの大韓航空にも電話した。電話口に出たスタッフは何度も「No problem!」を連発した。パスポートが再発行されたら、何はともあれ一旦パリに戻って仕切り直ししよう。 パリのB先輩と日本の友達、それからお袋とやさしい父親へ手紙を書いた。 こうして着実にゲインしながら、それと同時に私はマドリードの生活を十分楽しんだ。 かずま #
by odysseyofiska4
| 2014-06-27 21:14
2014年 06月 21日
「Odyssey of Iska 1984」 34.マドリード(1) チャマルティン駅には定刻の8時を少し過ぎて着いた。 マドリードは快晴でさわやかだった。 最初に日本大使館に行った。すぐに大使の部屋に通された。 パスポートの再発行の書類を渡され、前のパスポートの番号や発行年月日を訊かれた。 ここで信じられないことが起きた。 それまでパスポートの番号は一度も覚えたことがなく、ホテルのフロントでそれを書く時はいつもパスポートを見ながら書いていた。 だが、無くなったらそれが「MG24408‥」とスラスラ出てきたのだ。 しかも発行年月日まで。 日本からの送金は来週初めにしか受け取れないから、それまで私が君にポケットマネーを貸そう、と言って大使は1万ペセタを貸してくれた。借用書を書いた。 次にVISAのTCの再発行手続きをするため住友銀行のマドリード支店に行った。 ここでも信じられないことが起きた。 日本で購入したTCの番号が書かれたシートを渡され、このうち使用済みの番号をチェックしてくれと言う。だが、使用の度にチェックはしなかったし、しかも端から順々に使っていったわけではないので、それを正確に特定することはほぼ不可能だった。勘で書いたが、合ってるのは良くて6、7割だろうと思った。 だが、それから1週間後、ほぼすべてが再発行された。違ってたのは2枚だけだった。 人間には誰でもピンチになると作動する特別な能力が備わっていると昔聞いた覚えがあるが、それがまさに作動したのだ。 外に出ると気持ちがよかった。 「地球の歩き方」で何人かが薦めているホテルを探してグランヴィア通りを歩いた。通りの外れ近くにそれはあった。通りに面してエレベーターしかない不思議なエントランスだ。 11階に上ってフロントで聞いたらラッキーなことに空きがあった。パスポートの代わりに盗難証明を見せると、それはお気の毒にととても親切だ。とりあえず1週間滞在することにした。 窓の向こうに王宮が見える。部屋も私には少し広過ぎるくらいだ。これで、朝食付きで1泊2400円くらい。ラッキーのラッキーだ。 シャワーを浴びて着替え、ランチを食べに外に出た。 Gran Via。 そのまま訳せば「大通り」だ。 だが、私にはそれが「偉大なる人生」と感じるくらい、この通りが多いに気に入った。 歩いていてとても楽しい。 特にファサードがおもしろい。基本的にはバロックだが、いろんな物がごちゃまぜに合わさってって、それがいかにもスペイン風だ。 また、いろんな店があって、見ていて飽きない。 人出も多く、活気がある。 坂道のアップ・アンド・ダウンも変化に富んで楽しい。 ホテルをここに取ったのは大正解だった。 坂道を上った所にある2階のレストランに入った。 冷えたサングリアとガスパチョが最高だ。パエリャとサラダもなかなか美味い。デザートやコーヒーもグッド。これで1000円くらい。気に入ったので、釣りはそのままチップであげた。 サングリアを大きなカラフェで飲み干したので気持ちが大きくなった。 さあ、これからプラドを征服しに行こう! そのまま歩いてプラド美術館に行き、ゴヤとベラスケスを堪能した。 次の日から「ラス・メニーナス」は修復のため1年間観れなくなった。 また、私がマドリードに来た日から守護神サン・イシドロの祭が始まり、闘牛やジャズ・フェスティバルなどいろんな催しが始まった。 ほら、みろ。 神様は俺をマドリードに行かせるために、バルセロナでああいう遊びをしたのだ。 そう、思った。 その後も、バルセロナ事件の話をする度に多くの人から、 「大変でしたね。もう、スペインは懲り懲りでしょう?」と言われた。 冗談じゃない!あの事件でスペインは俺のスペインになったのだ。 そう、思う。 かずま #
by odysseyofiska4
| 2014-06-21 20:36
2014年 06月 15日
「Odyssey of Iska 1984」 33.マドリードへ 次の日は朝8時前に目が覚めた。 目覚まし時計より先に目が覚めるのは、まだ昨晩の緊張感が続いているからだろう。 支度をして隣の部屋のドアをノックした。ほどなくして女と赤ん坊も出てきた。 昨晩のマクドナルドとは違うマクドナルドに行って朝食を済ませた。 相変わらず何も食べる気がしない。ジュースだけ飲んだ。女と赤ん坊はきちんと食べた。 もちろんお金は私が払った。その代わり今日は活躍してもらわねば! 最初に日本領事館に行った。 領事館でパスポートを再発行してもらえるものだとばかり思っていたが、そうではなく、マドリードにある日本大使館に行かなければならないことがわかった。 領事はとても品の良いスペイン人の女性で、日本人はいなかったが、英語と日本語で話は通じた。領事は私の言うことにやさしく頷きながら、マドリードに電話をかけた。 大使が電話口に出たので受話器をくれた。 大使と話をした。日本人と日本語で話をするのは久しぶりだった。 私のように重要な物を丸ごと盗まれる例はよくあるらしく、これから私がすべきことを、まるでマニュアルを読むかのように淡々と早口で大使は説明した。 まず、明日金曜日の午前中にマドリードの大使館に来てパスポートの再発行の手続きをすること。そうでないと翌日から土日を挟むので再発行は遅れる。 再発行は日本とのやり取りも入れて通常2週間かかるが、所属する会社からそれを証明するテレックスを送ってもらえれば最短1週間で発行できる。 明日の午前中にマドリードに着くにはバルセロナを今日の夜行で発たなければならない。車中では寝るな。寝て身ぐるみ全てを剥がされパンツ一枚になった奴もいる。 パスポートやTCの再発行には警察署の発行した盗難調書とは別の正式な盗難証明書が必要なので必ずもらうこと。 お金を東京から送金してもらう場合は月曜日にそれを受け取るためには東京銀行のコレコレの番号に今日明日中に電子便で送る手続きをしろ。 帰りの航空券の再発行は大韓航空のパリ支店でやってくれる、などなど。 こうしたことを時にユーモアを交えながら澱みなく私に説明した。 領事館を出て、国際電話の掛けられる電話局に行った。 コレクトコールで家に電話した。 まだ、日本は早朝なので寝てるかと思ったが、お袋が出た。 さすがにこんなに朝早く、しかもコレクトコールで電話してくるので、ただならぬことがあったと感づいたのか、お袋の声のトーンが高い。 何があったの?何があったの?と、とてもうるさい。 いや、いや、大したことじゃないんだけど、ちょっと財布を盗まれちゃって。 悪いんだけど、東京銀行に行って、コレコレの番号に電子便で25万程僕の口座から降ろして送ってくれない? とまるで他人事のように俺俺詐欺まがいの話をお袋にする。 (私の声はどうやら独特らしく、名前を言わなくとも皆わかるので、その点は安心だ) 用件を済ますとすぐに切った。 どうせお袋のことだから、その後も電話口でブツブツ言ってるに違いない。 その後、バックパックを軽くしたかったので国際郵便局に寄って、旅の途中で買った本をまとめて船便で日本に送った。 警察署にも寄って、昨晩の盗難調書とは別の盗難証明書を2通つくってもらった。 最後にもう一度領事館に寄って、領事にお礼を言った。 その間中、あの女と赤ん坊を乗せた乳母車も一緒で、おかげですべての場所はすぐにわかった。 3時頃にはバルセロナでやるべきことはすべて終わった。 あとは夜行でマドリードに向かうだけだ。(幸いなことに、ユーレールパスは革ジャンの胸のポケットに入っていたので盗まれなかった) トイレで残りのペセタを勘定し、今晩の食事代とわずかな金を残して残りは女にやった。 そして別れた。 途端に気持ちが晴れ晴れした。 バルセロナの街を散歩した。それから地下鉄でサンツ駅に向かった。 簡単な食事をして、夜8時10分発の列車でマドリードに向かった。 コンパートメントの乗客を注意深く観察したが、パンツ一枚になる可能性は無いなと思った。安心したら疲れがどっと出てきて、やがて深い眠りについた。 かずま #
by odysseyofiska4
| 2014-06-15 17:56
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