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2016年 08月 06日
「Odyssey of Iska 1984」 52.マラケシューカサブランカ マラケシュの次はフェズかカサブランカに行こうと思った。 行くなら鉄道ではなくバスにしようと思った。 バスから砂漠が見たかった。もちろん、モロッコのバスだからロクなものではない。でも、それも含め、モロッコらしい旅がしたかった。 時刻表とルートを見て、カサブランカ行きのバスにした。 ホテルの中庭でプールとオレンジの木を見ながら朝食をとった。 出発時刻の1時間くらい前に乗り場に行くと、既に行列ができている。粗末な切符を買って並んでいると、バスが来る。係のモロッコ人がバックパックを指差しながら、大きな荷物は車内に持ち込めないから降ろせと言う。 じゃ、どうするんだ?!と聞くと、バスの上の荷台に載せるジェスチャーをする。しょうがないから降ろしてバックパックを渡すと、早くバスに乗れ!乗れ!! と背中を押しながら急かす。 乗って外を見ると彼の手元に荷物はない。 「俺のバックパックは?!」と窓から叫ぶと、もう荷台の上に載せたとジェスチャーする。と同時にバスは出た。 やられた!! 迂闊だった。きちんと載せるのを見届けるべきだった。 バルセロナ事件を思い出した。もうあのバックパックは戻って来ないと観念した。 スケッチブックを取り出し、バックパックに入っていた物を一つ一つ描き出した。カサブランカに着いたらもう一度揃えるしかない。 バスの中は猛暑ですぐに汗だくだ。その汗に吸い寄せられてハエが寄ってくる。避けても避けても、そんなことには御構いなしにハエが鼻や目や耳に止まってくる。 隣を見ると皆同じ状況だ。だが、モロッコ人は平然としている。 そのうち私も暑さで頭がボーッとしてきて、もうどうでもいいやという感じになる。 やがて小さな町に着き、小休憩になる。 バスを降りて荷台を見ると、大きな布がかかっている。 あの中に俺の荷物はあるのかと運転手に聞いても、それは俺の知ったことではないというジェスチャー。 それにしても暑い。身体中から水分が蒸発し消えて行く感じだ。 モロッコ人が来ているジャラバ(フード付きの足首まであるコート)は意外と厚手で重いが、それは太陽の紫外線をカットするためには薄手で軽かったら用を成さないからだと納得する。 砂に触ると火傷するくらい熱い。マレーネ・ディートリッヒが外人部隊のゲーリー・クーパーを裸足で追いかける「モロッコ」のラストシーンは絶対、嘘だなと思った。 ランボーは二十歳の頃には詩人をやめ、やがてアラビアの商人となり、アビシニア(エジプト)に駐在し、37才で死ぬ。 ランボーが見た砂漠と今私が見ている砂漠は同じではないが、彼がアフリカまで来て、暑い日差しの中で感じた何かは少しは似てるかもしれない。 また「異邦人」のムルソーが感じた不条理もこの暑さの中から生まれたに違いない。 ふたたびバスに乗り、旅が始まる。 日が傾きかけた頃にカサブランカのあまりパッとしない所に着き、皆ゾロゾロ降りる。地図を持たない私は今ここがどこなのか、カサブランカの外れか内かもわからない。 バックパックは幸運なことに荷台から出てきた。もう一度揃える手間が省けた。 インフォメーションの場所を教えてもらい、地図をゲットして安ホテルの予約をした。嘘つきジジイのタクシーにつかまり往生したが、なんとかホテルに着けた。 また新しいモロッコが始まった。 かずま #
by odysseyofiska4
| 2016-08-06 20:05
2016年 08月 03日
「Odyssey of Iska 1984」 51.マラケシュ 明け方、カサブランカに着いた。 ここで“いい奴”と別れ、列車を乗り換え、昼頃、マラケシュに着いた。 なぜ、最初にカサブランカではなくマラケシュかというと、あのごったがえしたジャマエルフナ広場と、そこから派生する迷路、シャワーのように振ってくる縞々の光を最初に味わいたかった。それが私の惹かれるモロッコだからだ。 駅のインフォメーションでホテルを紹介してもらい、チェックインしてシャワーを浴びるとすぐメディナ(旧市街)に向った。 ジャマエルフナ広場は噂に違わぬごったがえしで、喧噪に包まれていた。 例によって客引きの男達がたくさん寄ってきていろんなことを言いながら手を引っ張る。それを振り払いながら広場を見学し、途中から迷路に入る。 強烈な日差しから身を守るため、頭上はすのこ状の物で覆われ、縞々の光が振ってくる。映画の「モロッコ」に出てくるシーンと同じだ。 ああ、俺は今、モロッコにいるんだ! 旅をしていて久々に異邦人の感覚がした。 スーク(市場)を歩きながら、ちょっと何かを手に取ると、店主だけでなく周りの店主も同じような物を押し付けてきて、買え、買えとハエのようにうるさい。それから逃れるように迷路の中をどんどん先に行く。 ある所まで来た時、少し高い所に上れる階段があった。上るとたこ壷のような、土で固めた染料の入った穴が100個くらい見える。ここで革や布を染めているのだろう、凄い臭いがする。 メディナは騒音だけでなく臭いも強烈だ。 クソと馬糞と小便の入ったフライパンの中で一日焼かれているような気持ちだ。 また、それは何百年もの歴史が混ざった臭いでもある。 こんな土で固めた昔の建物が残っているのは、マラケシュは地震がないからだろうか・・・ 再び、地元の人が行きそうなレストランに行った。 メニューはまたしてもアラビア語でわからない。 今度は少しフェイントを入れて変化球を頼んでみた。 出てきた物は皆土色をしていて得体は知れない。またしても毒味状態になった。 それをまわりから皆がジロジロ見ている。 外国人だからいいようなもので、地元の人がラマダンに日没前に飯を食ってたら大変だ。日本人でよかった。 かずま #
by odysseyofiska4
| 2016-08-03 18:53
2016年 07月 26日
「Odyssey of Iska 1984」 50.タンジェーマラケシュ 入国審査と両替を船内で済ませ、港に降りた。 と途端に、死体に群がるハイエナのように多くのモロッコ人が寄ってきて、英語やフランス語、時には日本語で「いいホテルあるよ」「いいレストランあるよ」「いい女いるよ」「お金換えるよ」と話しかけ、身体に触って来る。 「No thank you!」と言い、それを振り払いながら足はどんどん早くなって行く。 旧市街のメディナの入口まで来た時、最後まで付いてきたやせ細った若者に「レストランに行きたい」と言った。 別に腹は減ってないが、カサブランカ行きの列車が出るまでにはまだ時間がある。列車に乗ったら朝まで飯は食えない。だったら今のうちに腹ごしらえしておこう。 若者はいいレストランを知ってると言って、地元の人が行く所に連れて行った。 メニューはアラビア語でさっぱりわからない。 たぶん、これはスープで、これは前菜、これはメインディッシュだろうと見当をつけ、その一番上を3つ頼んだ。 わからない時は一番上を頼め!(自信がない物は一番上にはしない) 旅をしていく中で自然と備わった感覚だ。 ほとんど泥水のような感じの同じような皿が3つ出てくる。 しまった!と思ったが、しょうがない。それを腹の中にかき込んだ。 すると周りの人間がずーっと私の食べるのを見ている。彼らは何も食べない。 なぜなのかわからない。 食べ終わってお金を払い、残った小銭を若者にやった。 「いいホテルを知ってる」 「あと1時間くらいで列車が出るので駅に行く」 「列車はもう出た。駅に行っても無駄だ!」 「無駄でも俺は駅に行く。トーマス・クック(*時刻表のこと)は嘘はつかない」 そう言って彼を振り切り、駅に着いた。案の定、列車はまだ出ていない。 切符を買って、夜の構内で待った。 やがてみんなが乗り始めたので乗り、コンパートメントの指定された席に座った。 車内は人で一杯だ。すると隣の若者が英語で話しかけてくる。 彼はイスラエルの傭兵で、休暇で一時帰国し、カサブランカに戻る所だと言う。 列車が動き出した。車内は電気が消え真っ暗になった。 しばらくしてうとうとした。どうやら隣の奴はいい奴で危険は起きないようだから、明日に備えて寝ようとしたその瞬間、誰かが数人コンパートメントの中に飛び込んでくる。 緊張した。 それを察して、隣の若者が「仲間だ」と言った。 そして仲間達は暗闇の中でガチャガチャ音を立てながら床に何かを並べ始める。 どうやら食事の入ったアルマイトの容器を並べているらしく、それを囲みながらみんながワイワイ言いながら食べ始めた。 そして隣の若者もホラッ!という感じで私に食べ物の入った容器を渡し、食べろと言う。 やっと意味がわかった。 今はラマダン(断食月)なのだ。 だから決められた時間しか食べ物を採ることができない。 しかし、真っ暗な中で渡された物が何なのか、さっぱりわからない。 ここで眠り薬でも入った物を食べて、明日、身ぐるみ剥がされ見つかるのは嫌だなと思いながら、だが、こいつはいい奴だからそんなことはないだろうと、何度も逡巡した。 結局、食べろ!食べろ!と促されるので、毒味のような気分で少しだけ食べた。 さっき食べた奴とは違う味だが、別に変なことは起きない。 他のもポイポイ渡されるので食べた。 やっぱり何も起きない。 俺の直感は当たった。やっぱり、こいつはいい奴だ! だが、モロッコで出会ったいい奴は彼だけで、その後は1人も出会わなかった。 かずま #
by odysseyofiska4
| 2016-07-26 14:04
2016年 07月 20日
「Odyssey of Iska 1984」 49.アルヘシラス グラナダを朝早く発ち、そのまま南下して昼過ぎにアルヘシラスに着いた。 スペインの最南端、言うなればヨーロッパの端っこまで来たことになる。 湾を挟んで対岸には霧にかすむジブラルタルの岩山が見える。 そしてジブラルタル海峡を渡ると向こうはアフリカだ。 とうとうここまで来てしまった・・・ 旅をしていて初めて感慨を覚えた。 ヨーロッパ放浪を始めた頃はアフリカに渡ることまでは考えていなかった。 だが、スペイン、アンダルシアを旅して、ムーア人やイスラムの香りに惹かれた。 この海を渡ればモロッコだ。ムーア人やイスラムの源流に触れることができるだろう。 チケットを買った。 船が出るまでの間、軽いランチを取りながら霧のジブラルタルを見ていた。 出航した。 そして船は快調に海を走った。西に傾く陽に照らされながら。 船上を走る風がとても心地よい。 海の向こうに霧にかすむ赤銅色のアフリカ大陸が見える。 だが、あれはセウタでモロッコではない。スペイン領だ。 船が出たアルヘシラスもスペイン領だが、対岸のジブラルタルはイギリス領だ。 ヨーロッパとアフリカは植民地化や戦争を繰り返してきたので領土の帰属問題はとても複雑だ。 領土や国境などを気にするのは強欲な人間の仕業で、鳥や風や雲にはまったく関係ない。 私は鳥や風や雲になりたい。 旅をしながらずーっとそう思った。 やがて船は夕暮れのタンジェの港にゆっくり入った。 これからモロッコの旅が始まる。 何の準備も情報もない。 ぶっつけ本番の自分が試されるのだ。 おもしろい。やってやろうじゃないか!! かずま #
by odysseyofiska4
| 2016-07-20 21:32
2015年 07月 24日
「Odyssey of Iska 1984」 48.グラナダ 翌日は早起きして丘の上のアルハンブラ目指して歩いて行った。と言いたいところだが、前日のワインが利いたのか、(いや、とっくにスペイン人になっていたので、)ゆっくり起きてゆっくり朝食を採り、昼少し前に丘の上の入口に着いた。 200ペセタ(300円くらい)払ってチケットを買い、中へ入った。 アルハンブラは「赤い城壁」というアラビア語から来ている丘の上の城塞都市で、増築による増築を何度も重ねてできている。だからチケットの裏側に印刷されたマップの順路も迷路のように入り組んでいる。 これがなかなかおもしろい。意外性があって。 一度にできた街より長い年月をかけてできた街の方がおもしろいのと同じだ。 小さな部屋をいくつか抜けて、突然、目の前に水で覆われた中庭が現れる。 アラヤネスのパティオだ。 私はこの水の中庭の着想に魅せられてしばらくそこでボーッとし、それから中庭をぐるぐる廻りながらスケッチをした。 遠く、頂に残雪をのこすシェラネバダ山脈が見える。あの頂の雪が溶けた水をここまで引き込む技術があるからこそ、こうしたことができるのだ。 何という着想、何という技術力だ! イスラムの高度な文化に脱帽。 そこから横の小部屋を抜けると、繊細な彫刻の柱に囲まれた中庭が現れる。 ライオンのパティオだ。 この繊細な彫刻群は異常で、イスラムの技術の高さをいやがおうにも感じる。 だが、それ以上に私が魅せられたのは、その柱のリズム感だ。 通常は細い柱が1本、時折それが並行に2本、コーナーは3本、複雑なコーナーは4本並んでいて、それによって独特のリズムが生まれる。 たとえば、パティオの長軸は、4-1-1-2-1-2-2-1-2-2-1-2-2-1-2-1-1-3、 短軸は3-1-2-2-4-1-1-4-2-2-1-3、 もう一つの短軸は4-1-1-2-4-1-1-4-2-1-1-4という具合で、 さらに内側へ2つの出っ張りがあり、複雑さを増幅させている。 たぶん、これは壁際の開口部の位置と強度などから合理的に導かれたもので、それを美しい彫刻的な柱と融合させたのだ。 恐るべし、イスラム!!だ。 ここから谷を挟んで中世ムーア人が住んでいたアルバイシン地区がよく見える。 丘陵沿いに緑と古い家屋が点在する景観は独特で、しばらくそれに見惚れた。 (ジプシーが裸足で激しいフラメンコを踊る洞窟が見えないかと目を凝らしたが、さすがに見えなかった) そろそろ帰ろうと、出口に近づいたら、カルロス5世宮殿の丸い中庭が見えた。 ここはレコンキスタでイスラムからカトリックがこの地を再び奪還した後、スペインのカルロス5世がつくった宮殿で、正方形の建物の中に丸い中庭、という極めて幾何学的な構成で、それまで観てきた繊細なイスラムの香りはせず、やや暴力的というか、スペイン的、イタリア的だ。 (コンサートか劇でもおこなうのか、仮設の屋根とステージの準備中だった) レコンキスタでキリスト教徒はイスラム文化を破壊した。それは昨日観たカセドラルやセビリアの大聖堂でもよくわかる。だが、アルハンブラには手をくださなかった。 それはキリスト教徒をも魅了する、繊細で美しく優雅な女だったからだ。 増築を繰り返して複雑な迷路のような構成の建物群はヴィラ・アドリアーナとどこか似ている。だが、ハドリアヌス帝のヴィラは自分の好きな建物を集めただけのコラージュで必然性に欠ける。それに対しアルハンブラはもっと必然的で、イスラムの熱い血と深い愛が流れている。そしてそれは誰が観てもわかる普遍的なものだ。 また来よう。 かずま #
by odysseyofiska4
| 2015-07-24 19:17
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