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2010年 02月 19日
![]() 「Odyssey of Iska 1984」 2.ローマへ パリのシャルル・ドゴール空港は今でも世界で一番楽しい飛行場の一つだと思うが、あの最初にできた、エスカレーターの入ったチューブが乱立する吹抜け空間を初めて味わった時は、本当にワクワクドキドキした。 「外国からの初めての客を迎えるというのはこうでなくっちゃ!」と思わず思った。 その後の、ヌメッとした大きなトンネルの中を動く歩道でup downしながらくぐり抜けて行くのもおもしろかった。まるで鯨に飲み込まれたピノキオか、ジュゼッペ爺さんのような気持ちだった。 パリ市内へは高速の地下鉄で行った。途中で一緒になった日本人が、パリで一泊しないかと誘ったが、私にはそんな気はさらさらなかった。なにしろ、Hと奥さんが待つローマへ早く行きたかった。 パリのリヨン駅の窓口で、一番早くローマへ行くにはどうしたらいいか尋ねると、TGV(テジェヴェ)でリヨンまで行き、乗り換えるのが早いと言う。しかも、TGVはあと15分くらいで出るが、どうするかと訊かれたので、乗ると答えると、コンピューターで座席をリザーブしてくれ、◯番線へ行けと言う。(私はユーレイルパスを持っていたので、20フラン追加しただけだった) 驚いたのは、その席はファーストクラスで、片側に1席、もう片側は2席しかなかった! しかもとてもゆったりしていて、片側のドイツ人のグループはテーブルでチェスを始めた。 列車は何のアナウンスも無く、定刻にパリを出発した。 私はフランスの国鉄(SNCF)のレベルの高さに舌を巻いた。 窓の外を見ると、ヘンゼルとグレーテルに出てくる「お菓子の家」のようなかわいい古い家が並んでいる。私はヨーロッパは初めてだったので、最新のTGVと古い家並みが共存している姿にえらく感動した。 そのうち郊外に出て家並みは途切れ、美しい田園が広がっていった。新幹線から見る景色とはまるで違っていた。緑がとてもきれいで、土地のやわらかい起伏がつくるシークエンスが快く感じられた。 遠くで野焼きをしているのだろうか、煙がかすかに立ち上っている。 フランスが農業国なのだということを思い出した。 ・・・・・・・・・・・・・・・・ 外の景色に目を奪われているうちに列車はいつしかリヨン・パーデューに着いた。 プラットフォームに降り立ってびっくりした。駅前に建設中の最新のポストモダンの建物がいくつも目に入って来たからだ。日本より進んでいると思った。 乗り換えた列車はイタリアの国鉄(FS)で、ガクンと乗り心地が落ちた。デザインも野暮ったい。 それでもこんなものかと思い、国境までは定刻通り進んだので我慢できた。ところが、国境を過ぎてイタリアに入った途端、どういうわけか列車が遅れ始めた。 おまけに車掌がやって来てイタリア語で何だか捲し立てる。さっぱり意味がわからない。 が、どうやら余分にお金を請求してるらしい。ユーレイルパスを見せて英語で応戦するが、さっぱり埒が明かない。とうとう諦めて、「リラは持っていないが、フランならある」と言って見せたら、適当にフランを抜き取って去って行った。 (こういうことは後にもイタリアで2度ほど経験した。Rapidだったか、Expressだったか、どちらかで起きた。理由は未だにわからない。何事も起きなかったこともあるのだから、単に小遣い稼ぎだったのかもしれない) ・・・・・・・・・・・・・・・・ 夜になったが、列車はどんどん遅れて行く。 そして翌朝、ローマに着く時刻になった。 が、走っていたのは山の中だった! 私はこの先を思い、不安になっていった・・・ かずま #
by odysseyofiska4
| 2010-02-19 23:02
2010年 01月 05日
![]() 「Odyssey of Iska 1984」 1.出発 それは一枚の葉書から始まった。 「ローマに居るのはもうすぐ終わりだから、遊びに来るなら今だよ」 それに対し私はこう答えた。 「ああ、じゃ行くよ」 ローマ大学に留学中の親友Hと奥さんからの葉書だった。 当時、私は建築の設計事務所に勤めていて、それなりに夢中で生きていたが、仕事の上でもプライベートでもエンドに達し、人生が煮詰まってしまったような思いに駆られていた。 これ以上続けても無駄だが、それをやめた先に何があるのか、何も見えなかった。 ただ自分をもう一度白紙に戻す必要があった。 仕事を辞めることにした。もっと正確に言えば、建築を辞めることにした。 旅に出ようと思った。その矢先に、この葉書が来た。 最初の目的地がローマということだけは決まった。 だが、それ以外は何も決まらなかった。決めたくもなかった。 ただ心の言うままに旅がしたかった。 1年間有効のフリーチケットの航空券を買った。だが、片方は使わないだろうと思った。 こうして、糸が切れた凧のような気持ちで、1984年2月の半ば、私はヨーロッパへ旅立った。 途中、飛行機はアンカレッジに立ち寄った。(当時、ソ連上空の飛行は禁止されていたので、ヨーロッパへの直行便は無かった) アンカレッジの空港は初めてだったが、ラウンジから見える外の景色はとても幻想的で、私はそれにすっかり魅せられた。夜なのか朝なのかさっぱりわからないのだが、空は深い紫色に染まり、遠くの山々は青白く輝き、樹々は真っ白で、それらがスペクタクルに眼前に広がっている。向こうとこちらを隔てる物はたった一枚の厚いガラスだけで、本当は向こうは零下何十度の世界なのに、こうして私達は身を守られ、安心して幻想的な風景を眺めることができる・・・それがとても不思議だった。 やがて給油が終わり、飛行機はアンカレッジを飛び立ちパリへ向かった。 かずま #
by odysseyofiska4
| 2010-01-05 18:09
2009年 12月 31日
![]() 「Odyssey of Iska 1984」 0.はじめに・・・ 1984年、9ヶ月間ヨーロッパを放浪し、19カ国、81の都市を見た。 その後、日本へ戻り、その旅が何だったのかを深く検証することもなく毎日の由無し事に追われ今日まで来てしまった。 だが、その間、その旅から逆に照射を受け続け、その後もその旅と共に生き続けて来たように思う。 私は今でもふとした時にあの旅をしていた頃の感覚に戻ることがある。 あの旅は何だったのか、25年経った今、それを辿りながらゆっくり検証するのも無駄ではないだろう。 そして、それが終わった時、私はまた新たな放浪の旅に出たいと思う。 では、始めよう。 かずま #
by odysseyofiska4
| 2009-12-31 20:17
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