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2011年 10月 22日
「Odyssey of Iska 1984」 12.パレルモへ シチリア島まで南下し、パレルモへ行こうと思った。 マフィアで有名なこの島が、そして町がどんな感じなのか知りたいと思った。 だが、またしてもトラブルにあった。 20時44分、その列車はナポリの中央駅をパレルモへ向けて出発する(はずだった)。 だが、定刻になっても列車がプラットホームに入って来る気配はない。 さすがに私もイタリアに慣れてきたのでこんなことでは動じない。我慢強くみんなと待った。 1時間程経った頃アナウンスがあり、罵声の飛び交う中、突然、民族大移動が始まった。 何のことだかさっぱりわからない。やっと英語のわかる人間をつかまえ、聞いたら、 列車が違うホームに入ったからそっちへ行けと言う。 完璧に出遅れた。 おかげでやっと車内に入れた時にはどのコンパートメントも席は一杯だった。 しょうがないので通路に立って列車が発車するのを持つことにした。 アメリカ人の若い二人連れの凸凹コンビがやってきて、お前も席が取れなかったのかと話しかけて来る。どうやら背の低い方は私を小馬鹿にしている、というか日本人を鼻で笑ってる節がある。 相手にせず外を見た。 列車が発車した。 しばらくすると車掌がやってきて、えらい剣幕で何か言う。さっぱりわからない。 コンパートメントから英語のわかるイタリア人が出てきて親切に説明してくれる。 深夜便で席のない乗客は次の駅で降ろされるから、お前達は席を探せというのだ。 とんでもない!そんなこと聞いたことないよ!! だが、車掌は頑として聞き入れない。 なんてこった! 私とアメリカ人二人は別々の方向に散って片っ端からコンパートメントの空きを探した。 だが、無駄だった。 まさかそんなことはしないだろうと思っていたが、車掌は次の駅で本当に私のバックパックを窓からホームに放り投げた。 バカヤロー!! 本気で怒ったが相手にされない。 深夜に、外国の知らない小さな駅に取り残されてしまった。 なんて国なんだ!イタリアは!! すると向こうから2つの影がトボトボやって来る。 あの凸凹コンビだ。 彼らも席が見つからなかったのだ。 私たちは知らない国で島流しにあったような気分になった。 さっきまでの生意気はどこへやら、チビが泣き出しそうな顔をしている。 「別に死んだわけじゃない!」と励まし、駅の待合室の床に坐って3人でトランプを始めた。 と、突然、閃いた。 もしかしたら、通過したはずの列車はまだ来てないんじゃないか? ここはイタリアだ!! 宿直の駅員にトーマスクックの時刻表を見せながら尋ねると、やはりそうだった。 俄然チビの顔に生気が戻り、元気になる。 あと1時間くらいで来るだろうから、来たら教えてやる、と駅員が言うので、また坐ってトランプを始めた。 と、10分も経たないうちに「来たから乗れ!」と駅員が飛んで来て叫ぶ。 あわてて飛び乗り、何とかなった。 なんなんだ!これは?? 私はその時初めて、ヨーロッパが夏時間に入り、時刻が1時間早まったことを知った。 知らない国ではいろんなことが起こる。 かずま #
by odysseyofiska4
| 2011-10-22 22:28
2011年 06月 17日
「Odyssey of Iska 1984」 11.ポンペイ ポンペイはナポリから20km程の距離にあり、ヴェスヴィオ火山の噴火で埋まった街だ。 今から250年程前にローマ時代のままで発見され、今も発掘作業は続いている。だから至る所に鉄の櫓が組まれている。この古い物と新しい物との対比は、日本から来た私の目にはとても新鮮に映る。というか、創造を掻き立てられる。 ヴェネツィアでも感じたことだが、こうした新旧の素材の対比的使用はイタリア人はとても上手い。その最たる者がカルロ・スカルパだ。だが、スカルパでなくとも誰でも上手い。 古い物だけだったら(私は考古学者ではないので)ポンペイに興味はない。だが、こうした新しい物の新鮮さのおかげで、遺跡の奥の方へどんどん進んで行った。 そして事件にあった。 公開している遺跡の先に未公開の遺跡があった。 牢屋の檻のようなドアから中を見ていると、 「入って見たいか?」と年のいった太った門番が言う。 「Si!(イエス!)」というと開けて中に入れてくれた。 中は壁で仕切られた大きな屋根のない空間で、壁の至る所に当時の痕跡が残っている。 気が付くと門番はドアの鍵を内側から締め、「オリジナーレ、オリジナーレ」と背後から親切に説明してくる。そして私に触ろうとする。 だが、出っ張った腹がじゃましてなかなか触れない。 そうか、これが噂のホモか! ヨーロッパでホモに会ったのは初めてだった。 年のいった太ったホモは私の機嫌を取りながら何とか私に触ろうと汗だくになって行く。 私はそれをするりするりとかわしながら、次の部屋を開けろ、次の部屋を開けろと催促し、鍵を開けさせる。そして次から次に新しい部屋を見学して行く。 こんなことを10分程やっていたら、それを外から見ていたドイツの観光客の一団が、 「俺たちにも見せろ!俺たちにも見せろ!」と騒ぎ始めた。 門番は最初はそれをうっちゃっていたが、私が「開けたら?」と言ったので、とうとう観念し、ドアの鍵を開けた。 するとドイツの一団は(門番にではなく)私に「ありがとう!」と言ってなだれ込んで来た。その隙に私は外に逃げた。 後にアテネに行く車中でこの話を二人の日本人にしたら、一人の女の子が 「私もその人に同じ目にあった」と言った。 なんだ、アイツは両刀使いなのか?! それとも日本人はどこか子供っぽく見えるので、ロリコンなのか?! こんな変な体験もしながら、だんだんタフな旅行者になって行った。 かずま #
by odysseyofiska4
| 2011-06-17 18:30
2011年 06月 10日
「Odyssey of Iska 1984」 10.カプリ ナポリにいる間にカプリに行こうと思った。 カプリはナポリ湾に浮かぶ島で、高速艇でナポリから45分程で着く。一般的には「青の洞窟」で有名だが、建築的にはアダルベルト・リベラが設計したマラパルテ邸(実際は彼の設計案ではなく、マラパルテと地元の石工の手でほとんど造られたらしい)があることで有名だ。 だが、私にはその2つはどうでもよかった。一番興味があったのは、なぜあのような奇岩の島に人々が住み着き、高級リゾート地にまでなったのか、それが知りたかった。 だからだろう、島に向かう日も(すっかりナポリ人になり切って)朝からゆっくりし、到着したのは昼近くだった。当然「青の洞窟」は見れない。 だが、そんなことはどうでもよかった。港の景色の良いレストランでランチをし、ワインを1本空けたらとても幸福な気分になった。本当にナポリ人だ。 いろは坂のような坂道を30分近く上って島の中央にやっと出る。 よくもまあこんな不便な所に別荘をたくさん造ったもんだ。確かに眺めはいいが、資材を運ぶのも、組立てるのも、食料や水を運ぶのも、排水も・・・考えれば考える程、無理難題が多い。それをアウグストゥスの時代からやってたなんて。 街を小1時間散策する。そしていろんなものを見る。 結局、人間は合理的な動物ではなく、不合理だからこそ逆に猛然とそこに住みたくなる、つむじ曲がりで不思議な生き物なのだという結論に至る。 そしてその気持ちは何となくわかる。 山はとんがってるから登るんであって、平らであればわざわざそこに行こうとは思わない。 海は深いから潜るんであって、すぐに底が見えるようならチャレンジしようとは思わない。 人が住み始める最初の地点はどこもとても特徴的だ。 パリがセーヌ川に囲まれたシテ島から始まったのは誰でも納得できるだろう。 それと同じで、カプリも人を引きつけて離さない何かがあって、だから苦労してでも住みたいという気を人々に起こさせ、実際住み着かせたのだ。 理屈ではない。すべては不条理だが、極めて人間的な感情なのだ。 マラパルテ邸は(本当はどうでもよかったのだが)他にやることもないので、行くことにした。 地図で目星を付け、大体この辺だろうと海沿いの山道を歩いたが、なかなかそれらしい建物が見えて来ない。もういい加減やめようと思った時に、あの赤い特徴的な形が一瞬目に入った。しめた!と思い、そちらの方へ降りて行った。途中から明らかに私道に入り、警告文らしき物がイタリア語で書かれているのだが、扉は・・・なんと開いた! 敷地内に入り、建物前まで行くと既に何人かの観光客が記念撮影をしている。たぶん、建築関係者か映画愛好家だろう。中にはゴダールの「軽蔑」でのBBのポーズを真似て屋上で記念撮影しているカップルもいる。私も写真を撮っていると、そのカップルに写真を撮ってくれと言われ、カメラを渡される。撮ってやると、お前も撮ってやると言って、私のカメラをもぎ取る。 こうしてあの大階段に坐った(私にしては珍しい)ポートレートを撮ってもらった。 その夜はナポリですることがあったので、早めにカプリを後にした。 高速艇から見る夕日の中で輝くカプリは確かに人を惹き付けてやまない何かがあった。 かずま #
by odysseyofiska4
| 2011-06-10 23:51
2011年 03月 05日
「Odyssey of Iska 1984」 9.ナポリ 旅を始めて一月程経ったので、新しい街に着いてからやることの順序、つまり旅のルーティンが固まって来た。 駅に着くと(その国が初めての場合は先ず最小限のお金を両替し、)次に荷物預かり所に行ってバックパックを預け、身軽になってから駅のインフォメーションで街の地図とホテルリスト、その週の催し物などのパンフをもらう。そしてカフェでゆっくりコーヒーを飲みながらそれを読み、候補のホテルとそこまでのルートを地図に描き込む。 この作業が終わったら外に出て、おもむろに街を見物しながらホテルに徐々に近づいていく。そして交渉がまとまったら急いで駅に戻り、バックパックを受け取り、今度は最短の交通機関でホテルへ行く。そして荷解きをし、シャワーを浴び、着替えてすっきりしたら、フロントで地元の人の集まるレストランを教えてもらう。そして食事をする。 だから着くのは午前中に限るのだ。(たまに午後になることもある) ナポリもこんな感じでスタートした。 駅のインフォメーションで24日にブラジルのサンバチームが来ることを知った。 ナポリでサンバか!いいな〜 だが、実行したらエライ目に遭った。 その日は妙に嫌な予感がしたので、早めに会場に着くことにした。 2時間程前に駅のインフォメーションに行って、ポスターを指差しながら、 「今からサンバに行きたい」と言った。 インフォメーションの受付嬢は「Si、Si」と言いながらマップのある地点にボールペンでグリグリグリと大きな丸を描き、「◯番のバスに乗って◯◯で降りろ」と言う。 私は言われた通りのバスに乗って言われた通りの場所で降りた。 だが、そこは教会前の広場で、誰も何もやっていなかった! インフォメーションが嘘をつくなんて! やっぱり、ここはイタリアだ‼︎ 私は諦めて地図を広げ、道行く人に「今からサンバに行きたい」と言った。 すると何人もの人が集まって来て、口角泡を飛ばしながら騒ぎ、その挙句、 「ここからこう行ってこう行けばそこにたどり着く」と言った。 みんなが口を揃えてそう言うので、私はそれを信じ、そこに行った。 だが、そこは河にかかった橋の袂で、やはり誰も何もやっていなかった。 みんなで嘘をつくなんて! やっぱり、ここはイタリアだ‼︎ こんなことを何度も繰り返しながら会場に辿り着いたのは、サンバが始まる直前だった。 肝心のサンバが良かったかどうかはあまり良く覚えていない。 サン・カルロ劇場(オペラ座)前の人と車の動きにも驚いた。 両者共に信号を完全に無視して交錯しながら動いている。 だが、まるでダンスを踊っているかのようにスルスルそのまま抜けて行く。 事故が起きないのが不思議なくらいだが、皆平然として「当り前だろ?ジャポネーゼ!」という顔つきで通り過ぎて行く。 ここにいると神経がどんどんデタラメになっていく。 だが、逆にそれが私には快感だった。 路地裏を歩くと(名物の)洗濯物を干した風景がどこにでも転がっている。まるで香港みたいだ。女達もエスカルゴのようにスカートをなびかせ、奇声を上げながら坂道を転がり降りて来る。そしてよく食べ、よく騒ぐ。 ローマのような威厳はないが、開けっぴろげなナポリの気風が私はどても気に入った。 中でも一番気に入ったのは、港にある要塞、カステル・デローヴォ(卵城)だ。 実は私は城マニアで、(日本のではなく、ヨーロッパの)古い城が好きなのだが、ナポリのこの城は全くノーマークだったので、とても驚いた。 外観は無骨で、長い桟橋のような道を歩いて向かっている時は全然期待していなかった。 だが、一端内に入ると、まるで体内廻りをしているような、そんな錯覚に襲われた。途中でふっと明るい空間に出て、また再び暗い空間へ引き込まれる。めくるめくような体験を繰り返した後、やがて最上部に達する。 そしてそこから見渡すナポリ湾の絶景の凄さ・・・ ナポリの夜景は(こんなもの見て死ねるかよ!と思う程)全然大したものではなかったが、ナポリの人と街を私はとても気に入った。 かずま #
by odysseyofiska4
| 2011-03-05 19:42
2011年 02月 16日
「Odyssey of Iska 1984」 8.ふたたび、ローマ ローマに戻ったのは、(ナボナ広場で出会った老人の言葉から急遽ヴェネツィアへ行ったので、)まだ観ていない建物や周辺の街がいくつか残っていたからだ。それを観終えてから南へ向かおうと思った。 サント・ステファーノ・ロトンド教会に行った。 もう教会はいいやと思っていたが、Hが「お前が見たらおもしろいと言うに決まってる」と言うので行ってみたら、本当におもしろかった。 ローマで最も古い教会の一つで、円形の回廊の中にもう一つの円形のドームがあり、それまで見たバジリカ形式の長方形の教会とは違って、中心生の強い、だがどこかおおらかさの漂う空間だった。ビザンチンの匂いもした。 ヴィラ・アドリアーナにも行った。 ハドリアヌス帝が築いた広大な別荘群で、ローマ帝国内を巡りながら自分の気に入った建物のデザインを集めてコラージュした、言わば古代のテーマパークのようなものだが、あまり感動しなかった。廃墟然とした姿はどこかローマのミニチュアを観ているようだった。 そろそろこの街を旅立たねばと思った。 まだ観ていない現代美術を観に行った。 アルテ・ポーヴェラの作家達の作品もおもしろかったが、アルベルト・ブッリ、カポグロッシ、そして大好きなルチオ・フォンタナの作品が心に残った。 郊外の高橋秀さんのお宅へ遊びに行き、美味しいランチをご馳走になった。 バビントンでお茶をして、ベルテッキで気に入ったステイショナリーをいくつか買った。 身を軽くするためそれらを段ボールに詰め、船便にして送ろうと郵便局に行った。 前から3番目だったので楽勝だなと思い、余裕で待っていた。 ところが、最初の男が終わるのに1時間近くかかった。次の女が終わるのにも同じくらい時間がかかり、やっと私の番が来た。 すると、ガラガラガラと受付の鉄の格子を下げ、郵便局員は去ろうとする。 大声で「俺の番だ!」と言うと、それ以上の剣幕でベラベラベラとイタリア語で捲し立てる。 何のことだかさっぱりわからない。 先程終わった女が「昼ご飯だから2時間後に来い!と言ってる」と親切に英語で教えてくれた。 なんてこった!お前ら公務員だろ!! またしてもイタリアだ。 諦めて食事に行き、時間潰しをしてから2時間後に戻ると、鉄の格子は下がったままだ。 ボンヤリ待っているとやっと郵便局員が戻って来て私の荷をチェックし始め、中を開けろと言う。仕様がないから開封すると、一つ一つニヤニヤ見ながら紙に何か書き込み、渡す。 28,100リラだと言う。 何でそんなに高いんだ!!ここはイタリアだろ??と言ってもさっぱり通じず、埒が明かない。 今日中にすべてを終えて出発するつもりだったので、諦めてお金を払い、Hと最後の晩餐をして、今日の顛末を話した。 「お土産と本を一緒くたにして、手紙も入ってたから、一番高い種類のkgでカウントされたんだろう」とHと奥さんが言った。 以後、船便を送る時は、本と他の物は分けることにした。 明朝、私はナポリに旅立った。 その時までにフィレンツェから投函した私の手紙はローマのHの家には届かなかった。 (私の旅はその後も8ヶ月くらい続いたが)ローマから送った船便が東京に届いたのは帰国してしばらく経ってからだった。 ローマは月よりも遠い。 かずま #
by odysseyofiska4
| 2011-02-16 23:37
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