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2016年 08月 09日
「Odyssey of Iska 1984」 53.カサブランカ カサブランカは予想以上につまらなかった。 街を歩き、店に入っても、マラケシュのような独特の喧騒や匂いがなく、中途半端に近代的で、どこかパリの裏街を歩いているような感覚だった。 しかたがない。20世紀に入ってからヨーロッパ列強が進入し、貿易で栄え、今のようになった都市(まち)だからだ。 ボギーやバーグマンを探して歩いたが、どこにもいなかった。 私は食事は地元の人が行く所で食べるのが常で、モロッコでもそうしていたが、さすがにアラビア語の解読不能なメニューから選んで毒見のようなことを繰り返していたので、いつしか目がフランス料理の店を探していた。 小綺麗なレストランがあった。中に入ると、ヨーロッパ人と品のいいモロッコ人ばかりだ。メニューを見ると、昨日までとは比べものにならないくらい高い。パリとほとんど同じだ。 隣を見ると、皆ジュースのようなものを飲んでいる。だが、どうも赤い。 「あれはワインか?」と聞くと、「いや、ジュースだ」との答え。 同じ物を頼んで、飲んだら、やはりワインだった。 ラマダンの時期は、ジュースに変身するのだろう。 メニューはフランス語と英語で、やっと毒見から解放される。 味は大したことない。 それより頭に来たのは、何を頼んでも他の人より後回しにされることだ。アジア人に対する差別は、ここアフリカでも残っている。 食べ終わってお勘定を頼むと、机の上におつりを置いてそのまま立っている。 チップが欲しいのだ。こんなサービスでチップもあったもんじゃないが、彼らも生活がかかってるのだ。 小銭を全部サッとテーブルの前に出すが受け取らない。もっとよこせと言ってるのだ。頭に来たが、旅先で喧嘩をしてもいい思い出にはならない。 札を加えると、Merciと小声で言って立ち去った。 安ホテルに戻る途中で小さな食料品店を見つけた。 奥のカウンターの棚の上の方を見ると、緑色の缶が2つチラッと見える。 (ハイネケンだ!) それを指差し、「あれはビールだろ?」と聞くと、 「ノー、ジュース!」 「あれはビールだろ?」 「ノー、ジュース!」 こんなことを繰り返した末、「じゃ、そのジュースを全部くれ!」と言うと、一つ一つ丁寧に紙で包んでくれる。 それを安ホテルに持ち帰り、なんて丁寧な店員なんだろうと思いながら飲んでるうちにわかった。 ラマダンの時期に酒を売ったとわかれば重罪なのだ。 イスタンブールではラマダンの時期もレストランで酒が飲めた。 が、ここモロッコでは戒律が厳しく守られている。(トルコ人を、あいつらはムスリムではない、と言うモロッコ人もいる) こうしたことは旅に出て、現地で接しないとわからない。 日本を出る時は、自分の知識に欠けている凸凹を埋めてフラットにしてやろうと思っていたが、実際始めてみると、その凸凹はさらに大きくリアルになるだけだった。 かずま
by odysseyofiska4
| 2016-08-09 19:36
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