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2015年 07月 24日
「Odyssey of Iska 1984」 48.グラナダ 翌日は早起きして丘の上のアルハンブラ目指して歩いて行った。と言いたいところだが、前日のワインが利いたのか、(いや、とっくにスペイン人になっていたので、)ゆっくり起きてゆっくり朝食を採り、昼少し前に丘の上の入口に着いた。 200ペセタ(300円くらい)払ってチケットを買い、中へ入った。 アルハンブラは「赤い城壁」というアラビア語から来ている丘の上の城塞都市で、増築による増築を何度も重ねてできている。だからチケットの裏側に印刷されたマップの順路も迷路のように入り組んでいる。 これがなかなかおもしろい。意外性があって。 一度にできた街より長い年月をかけてできた街の方がおもしろいのと同じだ。 小さな部屋をいくつか抜けて、突然、目の前に水で覆われた中庭が現れる。 アラヤネスのパティオだ。 私はこの水の中庭の着想に魅せられてしばらくそこでボーッとし、それから中庭をぐるぐる廻りながらスケッチをした。 遠く、頂に残雪をのこすシェラネバダ山脈が見える。あの頂の雪が溶けた水をここまで引き込む技術があるからこそ、こうしたことができるのだ。 何という着想、何という技術力だ! イスラムの高度な文化に脱帽。 そこから横の小部屋を抜けると、繊細な彫刻の柱に囲まれた中庭が現れる。 ライオンのパティオだ。 この繊細な彫刻群は異常で、イスラムの技術の高さをいやがおうにも感じる。 だが、それ以上に私が魅せられたのは、その柱のリズム感だ。 通常は細い柱が1本、時折それが並行に2本、コーナーは3本、複雑なコーナーは4本並んでいて、それによって独特のリズムが生まれる。 たとえば、パティオの長軸は、4-1-1-2-1-2-2-1-2-2-1-2-2-1-2-1-1-3、 短軸は3-1-2-2-4-1-1-4-2-2-1-3、 もう一つの短軸は4-1-1-2-4-1-1-4-2-1-1-4という具合で、 さらに内側へ2つの出っ張りがあり、複雑さを増幅させている。 たぶん、これは壁際の開口部の位置と強度などから合理的に導かれたもので、それを美しい彫刻的な柱と融合させたのだ。 恐るべし、イスラム!!だ。 ここから谷を挟んで中世ムーア人が住んでいたアルバイシン地区がよく見える。 丘陵沿いに緑と古い家屋が点在する景観は独特で、しばらくそれに見惚れた。 (ジプシーが裸足で激しいフラメンコを踊る洞窟が見えないかと目を凝らしたが、さすがに見えなかった) そろそろ帰ろうと、出口に近づいたら、カルロス5世宮殿の丸い中庭が見えた。 ここはレコンキスタでイスラムからカトリックがこの地を再び奪還した後、スペインのカルロス5世がつくった宮殿で、正方形の建物の中に丸い中庭、という極めて幾何学的な構成で、それまで観てきた繊細なイスラムの香りはせず、やや暴力的というか、スペイン的、イタリア的だ。 (コンサートか劇でもおこなうのか、仮設の屋根とステージの準備中だった) レコンキスタでキリスト教徒はイスラム文化を破壊した。それは昨日観たカセドラルやセビリアの大聖堂でもよくわかる。だが、アルハンブラには手をくださなかった。 それはキリスト教徒をも魅了する、繊細で美しく優雅な女だったからだ。 増築を繰り返して複雑な迷路のような構成の建物群はヴィラ・アドリアーナとどこか似ている。だが、ハドリアヌス帝のヴィラは自分の好きな建物を集めただけのコラージュで必然性に欠ける。それに対しアルハンブラはもっと必然的で、イスラムの熱い血と深い愛が流れている。そしてそれは誰が観てもわかる普遍的なものだ。 また来よう。 かずま
by odysseyofiska4
| 2015-07-24 19:17
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