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2015年 05月 05日
「Odyssey of Iska 1984」 47.マラガーグラナダ アルハンブラを観にグラナダへ行こうと思った。 だが、途中、マラガへ寄って、街の雰囲気を味わってから行くことにした。 マラガは地中海に面した港町で、ピカソが生まれた街だ。ここに9才まで一家は住み、北の港町ラ・コルーニャに移り住む。その後移住するバルセロナも港町だから、ピカソの性格が開放的で進取の気性が激しいのは、案外こうした小さい頃に育った環境も影響しているのかもしれない。 だが、駅を降りて大きな通りを歩いて旧市街の入口まで行っても、バルセロナで感じたようなピカソの匂いはしない。マラガもイスラムに征服されたアンダルシアの街だが、セビリアほどその濃密な匂いはしない。港町特有のガラの悪さとコスタ・デル・ソルの観光化された明るい匂いはするが、それがピカソの生まれた時代からあったものかどうかはわからない。 少し空振りしたような気がしたのでほどほどに切り上げ、グラナダへ向かった。 グラナダはマラガの北東、シェラネバダ山脈の麓にある街で、レコンキスタで1492年に手放すまで、イスラム王国の首都として栄えた街だ。だからアルハンブラ宮殿を始め、イスラムの香りが今も色濃く残っている。 私がこの街に憧れる理由は他にもあって、それは学生時代に読んだ飯島耕一の詩集「ゴヤのファースト・ネームは」にこの街を扱った詩が出てくるからだ。 山が近づいた シェラネバダ ときみは言った。 また山が近づいた シェラネバダ と彼が言った。 しかしシェラネバダはなかなか来なかった。 そしてとうとう シェラネバダがやって来た。 時間はあのとき 大きく弧を描いて、 何十分かずつの塊りで経って行った 一日は ゆるやかな数呼吸でめぐって行った。 もっと直接的な詩もある。 グラナダで 芳わしい体臭の若い女 とすれちがった。 香水ではなくて 芳わしい体臭の女とすれちがう、 ということが 他の都市で 他のどこで起るだろうか。 私の場合、芳わしい匂いのする女とはすれちがわなかった。 その代わり、着いて間もなく、駅から安宿に向かう途中で、思ってもみなかった立派なカセドラルに出くわした。さっそく中に入ってお祈りをし、観察をした。 内部も信じられないくらい立派でデカい。しかも奇妙なことに円弧状の一部から入る。だが、このつくり方が上手であまり違和感は無い。 なぜこのカセドラルはこんなに立派なんだろう? しかも聞けば、以前はここにモスクがあったという。イスラム王国の首都にあったモスクだから、残っていればさぞかし立派だったろうし、アルハンブラとはむしろその方が似つかわしかったろう。 だが、壊され、その後にこのカセドラルがつくられた。 これは間違いなくキリスト教徒のムスリムへの恨み、そしてレコンキスタ後のムスリムへの迫害だ。 では、なぜアルハンブラは残ったのか? それはたぶん美し過ぎたからだ。すばらしい技術と繊細な意匠が壊すことをさせなかった。アルハンブラは芳わしい体臭の女で、キリスト教徒をも魅了した。 安宿に荷物を置き、シャワーを浴びて食事に出た。 ワインを飲み、いい気持ちになってライトアップされたアルハンブラの元へ歩いて行った。暗闇に赤く照らされたアルハンブラはどこか艶かしく、芳わしい匂いのする女のようだった。 明日は一日その女と遊ぼう。 かずま
by odysseyofiska4
| 2015-05-05 01:01
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