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2015年 04月 20日
「Odyssey of Iska 1984」 45.セビリア(1) バルセロナでバッグを盗まれ、パスポートの再発行のために行ったマドリードで「本物のフラメンコが観たかったらセビージャに行け」と言われて以来、今度スペインに戻ってきたら必ずセビリアへ行こうと決めていた。 セビリアだけではない。グラナダも、コルドバも、アンダルシアは昔から私のずっと憧れの地だ。 ヨーロッパを少し旅すればわかることだが、文化は東から来た。東のイスラム文化が混ざることで化学反応をおこし、発展した。 イベリア半島の場合は地中海をぐるっと廻って南からイスラムは侵入し、文化が伝わった。そして8世紀から15世紀に渡るレコンキスタで再びキリスト教勢力は巻き返し、奪還する。だからスペインの南に位置するアンダルシア地方はそのどちらの文化の影響も受け、両義的でエキゾチックなのだ。フラメンコや闘牛の本場で、黒髪や黒い瞳の美人も多い。 セビリアに着いた日はとても晴れていた。セビリアは白かった。 駅で安宿を教えてもらい、歩いて行った。 それは旧市街にあり、古い建物だが室内はスタッコで白く塗られ、よく掃除されて気持ちよかった。だが、私が一番気に入ったのはその伝統的な造りで、路地から鉄の格子戸を開けてまず中庭ヘ入り、それから周囲の回廊沿いの部屋に入るのだが、中庭の中央には水をたたえた大きな瓶があり、蒸発する時に気化熱が奪われるので空気は冷んやりしている。自然の冷房で、イスラムの知恵だ。 主(あるじ)のおばさんは英語は話せないが、とてもいい人で、毎朝、私が出かける時に必ずボディーチェックをして「モネ?モネ?」と財布の場所を尋ね、ズボンの後ろポケットから上着の内側に入れ直し、これで大丈夫だとポーンと背中を叩いて送り出した。 また、毎晩0時過ぎまでフラメンコを観て帰ってくる私を中庭のベンチに座ってうたた寝をしながら待っていてくれた。そして小さな声で「Sorry!」と叫ぶと、起きて鍵を開けて中へ入れてくれ、再び鍵を掛けると、ポーンと背中を叩いて自分の部屋ヘ寝に戻った。 宿はセビリアの大聖堂やアルカサル、スペイン広場、黄金の塔から歩いていける距離にあったので便利だった。途中にフラメンコの学校があった。中からいつも教師の鋭い声と生徒達の踊る足音が聴こえた。さすが本場だなと思った。 昼間は街を歩いていろんなものを観て、夜はバールで食事をし、それからタブラオにフラメンコを観に行った。 どのタブラオも個性があり、おもしろかったが、あるタブラオは学校を出たばかりの若いバイラオーラ(踊り子)が6、7人で踊っていた。そのうちの一人は黒髪で黒い瞳のかわいい美人だったが、その日は明らかに調子が悪そうで少し気の毒だった。 (がんばれ!がんばれ!)と思いながら応援し続けた。すると最後に一人づつおこなうソロで、それまでとはまるで違う、激しい会心の踊りを踊った。全員総立ちになって拍手した。すると最高の笑顔で観客に会釈した。本場の根性を見た。 セビリアに行きたかった理由はもう一つある。 髪を切りたかったのだ。 旅を始めてから4ヶ月が過ぎ、途中何度か自分でハサミで切ったが、既にもう限界だった。また、夏に入り始めて暑かった。 通りを歩いて探しても、思ったほど床屋は無かった。やっと一軒見つけて入った。 事前に描いておいた3つの絵を見せながら、今はボウボウだけど、刈り過ぎるのは×、中くらいは◯と英語で説明した。 店の主人は「Si、Si、Si」と言って、俺にまかしとけ!とばかりに始めた。 最初はよかった。 「お前はハポネースか。そうか、ヨーロッパをそんなに旅してるのか」 と(たぶん)そんなことを言いながら余裕綽々でやっていた。 ところが、途中からまるで闘牛士のような形相で興奮しながらハサミをチャキチャキやり始めた。 気がついた時には遅かった。右側が異常に短い。それを指摘すると、バランスを取るため左側も短くされた。後ろに手をやると後ろも短い。最後は前とてっぺんも短くされた。 泣きたいような気分だった。 ところが、店の主人は「どうだ!」という感じで闘牛士のように見得を切る。 私はこれが原因でスペインを嫌いになることだけは絶対ないように努力しようと思い、言われた額にチップを加えて渡し、外に出た。 ロッシーニを呪った。
by odysseyofiska4
| 2015-04-20 14:40
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