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2014年 07月 24日
「Odyssey of Iska 1984」 41.パリの休息 パリに戻ると旅の疲れがどっと出た。 動き続けるということはエネルギーを予想以上に使うものだ。しかもある種の緊張感の持続が必要な旅を続けた場合はなおさらだ。 私はパリに戻ると緊張感からどっと解放される。 それはパリが好きで、私の身体がパリに親和するからだ。また、パリが東京と同じような感覚で日常生活を過ごせる都会で、自由だからだ。 映画を観たり、美術館に行ったり、デパートで買物をしたり、Jazzを聴いたり、カフェで道行く人をボーッと眺めたり、街の常連さんがいるレストランで食事をしたり、そんなありきたりでたわいもない日常を繰り返すうちに再び旅を続ける活力が戻って来る。そして準備をし、また旅に出る。そして1ヶ月から1ヶ月半の旅の後再びパリに戻り、また休息する。 結局こういうことを6回やって、私は何とかヨーロッパを一通り学習することができた。 パリは私にとって観光の街ではなく、休息して復活する街にいつの間にかなって行った。
パリの建物はほとんどが高さ制限、斜線制限ギリギリにつくられているので、7階は室内の壁が傾斜した屋根裏部屋だ。実は前からそこがお気に入りで、泊りたいと思っていた。 最低限の設備だが、部屋は清潔で眺めもよかった。朝食付きで1700円だった! (さすがに朝食のクロワッサンは美味くはなかった) 周りは大好きなカルチェラタンだし、ポンピドゥーまでも歩いて行ける。 私はここを根城にパリの休息しを楽しんだ。 パリスコープを買って、フェリーニを観た。 fnacでレコードを買い、Jazzのライブを聴いた。 Bさんの所へ行き、荷物をもらって船便をつくった。 日本やヨーロッパの友達へ手紙を書いた。 大韓航空で再発行のチケットをもらった。 ポンピドゥー・センターでブランクーシのアトリエを観て、ミロの模写をした。 チュイルリー公園にある印象派美術館に行き、ルノワールやゴッホを観た。 こうした中で忘れられない思い出がいくつかある。 スケッチに使っていたロットリングのペンとインクが無くなったので買いに行った。 製図用品を売ってる店はないかと訊いたら、ある店を紹介され、買った。 店の看板の虹色のリンゴのマークが印象的だった。 (その後戻って来た時も、別のリンゴのマークの店でインクを買った) 私はパリの製図用品店のマークはカッコいいなと思った。 それがアップル・コンピュータのマークで、私がヨーロッパを放浪した1984年の1月にマッキントッシュのパソコンがデビューした、と知るのは日本に戻ってからのことである。 デビューから半年も経たないうちにパリには提携する店がいくつもあったのだ。 パリっ子は新し好きだ。 オペラ座に行った。 この建物は一見古く見えるが、実は鉄骨造で、完成したのは1875年だ。 コンペでシャルル・ガルニエの案が選ばれ、だからガルニエ宮と呼ばれている。 典型的なネオ・バロック様式で、内外共に力感溢れるデザインだ。 ローマにあるいくつかのネオ・バロックに比べれば遥かに品が良く、私は嫌いではない。と言うか、階段はとても好きだ。こんなに美しく、自然と上れる階段は見たことがない。 写真を撮ってるうちにその秘密が知りたくなって実測を始めた。そして途中の踊場まで来た時、何と2階から実測をしながら下りて来る別の人間がいるではないか!? あわててコンベックスをしまい、その場から消えた。 いかん、いかん!俺はもう建築はしないんだった!! 2階のホワイエも凄く豪華で、思っていた以上に大きな空間だった。 劇場内ではオペラではなくバレエの練習がおこなわれていた。 上を見上げると中央にシャガールの華やかな色彩の天井画がある。 これがなかなかいい! モダンとクラシックが合わさってて。 こういう所はパリの、というかフランスの上手な所だ。 グラン・パレでやってるカンディンスキー展を観にいった。 (私はこのガラスの大屋根から降って来る明るい光が好きだ) カンディンスキー(1866-1944)は抽象絵画の創始者と言われるが、どうやってそれを発明したのかが知りたかった。 当然のことながら彼の最初の頃の絵は普通だ。 それが1910年の風景画あたりから輪郭がぼやけた明解でない絵に成り始め、そのうち色と形が独立して表現主義のように激しいタッチの絵となり(個人的にはこの頃の絵が一番好きだ)、やがて静寂を取り戻して定規やコンパスで描いたような絵となり、最終的には具象的な記号の集合のような絵になる。 この1910年の変化は具体的にはどうやって成されたのだろう。 展覧会の会場の出口でカンディンスキーの大きな顔写真を見ているうちに、とんでもない仮説を思いついた。 眼鏡を取って視た風景を、眼鏡を付けて描いたら、こうなるのではないか?! 目の悪い人が眼鏡無しで見える風景がどんなものかは目の良い私にはわからない。 だが、それを逆手に取って新しい絵画がもし生まれたとしたら、それはそれでおもしろい、そう思った。 もちろん、これは単なる思いつきに過ぎない。だが、そうではないという確かな証拠もない。 私はしばらくこの仮説を楽しんだ。 そして準備と休息を終えた後、もう一度リベンジするためバルセロナに向かった。 かずま
by odysseyofiska4
| 2014-07-24 20:12
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