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2014年 07月 12日
「Odyssey of Iska 1984」 38.マドリード(5) マドリードに行くと決まった時から最初にやることは決まっていた。 ピカソの「ゲルニカ」を観ることだ。 もっと正確に言うなら、「ゲルニカ」の習作群を観ることだ。 (そこから派生して生まれた「泣く女」が私の最初に好きになったピカソの作品だった) だからすぐにプラドに行った。 「ゲルニカ」は本館ではなく、そこから少し離れた古い建物内にあった。 斜めに傾斜した大きなガラスケースに入っていて、警備も付いて、初めて見た時はちょっと異様な感じだった。隔離されてる感じだった。(旧フランコ派やバスク独立運動のテロの懸念があったのでそうしたのだろうが・・・) 習作群は周囲の回廊のような所にあった。こちらはそばでじっくり観れた。 「ゲルニカ」は私には既に完成されてしまった彫刻か透明な排泄物のようで、観てもそれほど燃えなかった。だがそのプロセスである習作群は観ていて自然と身体が熱くなった。この帰結が「泣く女」で、これらが描かれた1937年という年はピカソの画業中一つの頂点であることは間違いない。 「ゲルニカ」がスペインに返還されたの1981年で、まだ3年しか経っていない。 だからピカソはプラドではお客様だ。 本館を観ればすぐにわかることだが、プラドの主は明らかにゴヤとベラスケスだ。 イコンや宗教画が腐る程たくさんあるが、専門家でもない限りそれらをじっくり観るのは無駄だ。また、エル・グレコやムリーリョ、スルバラン、リベーラ などもあるが、やはり圧倒的なのはこの二人だ。 ベラスケスはレンブラントと共にヨーロッパ絵画における肖像画の技法を確立し、その後に多くの影響を与えた。また「ラス・メニーナス」は構成の巧みさ、複雑さという点からやはり後世に多くの影響を与えた。 ゴヤもベラスケスと同様、宮廷画家として成功し、多くの肖像画を残した。 二人の肖像画の特徴は、その人物の内面までもえぐり出し、狡猾さや美醜、暗愚をそのまま描いている点だが、特にゴヤのは凄い。よく宮廷画家がつとまったものだ。 晩年になればなるほど、居直ったというか、凄みが増して来る。 そして、あの一番奥の「黒い絵」の部屋に入り、私の魂は奪われてしまった。 この絵の迫力は何なんだろう!! また、この奇想はどこから来るのだろう?! 幻視か?! 悪夢か?! この絵を描いた理由は?! 未来の我々への予言か?! ゴヤ、お前は何者だ!! 私は14枚の絵を見ながら混乱し、絵画の極北を観ているような、そんな気がした。 結局、マドリードを発つ前日もプラドに行って「黒い絵」を観た。 また、「黒い絵」が観たいために、もう一度マドリードに行った。 プラドは世界最強の美術館だ、この「黒い絵」のシリーズがある限り。 その後、ゴヤが天井画を描いたサン・アントニオ・デ・ラ・フロリダ礼拝堂に行った。 (ここにゴヤは眠っている) ゴヤの絵に当てられたので逆に現代美術が観たくなり、現代美術館にも行った。 タピエス、サウラ、アントニー・クラーベなどスペインの作家が観れて、よかった。 (その時偶然観たセルジ・アギラールの彫刻展はめっけものだった) ホテルからいつも見えるのにまだ行ってなかった王宮にも行った。 広場に内覧希望者が集まり、中に入ったが、それほど深い感銘は受けなかった。 もう他にすることは無かった。十分マドリードを堪能した。 旅立つ時が来た。 かずま
by odysseyofiska4
| 2014-07-12 16:59
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