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2014年 04月 14日
「Odyssey of Iska 1984」 26.パリ(6) カステル・ベランジェに行った。 パリで最初のアール・ヌーヴォー建築で、ギマールが28才の時に設計した建物だ。 アール・ヌーヴォー建築をつくったのはギマールではなく、ギマールはベルギーでオルタの建物を見てこうした植物的で有機的なデザインを始めたのだが、創始者の生みの苦しみを知らない分だけ軽やかで華麗だ。(パリに残るメトロのゲートのデザインは特にそうだ) この36戸のアパートもプランがすべて異なり、外壁のデザインにそれはよく表れている。だが、さすがにこの頃はまだ重い。 ただ、入口の門扉のデザインは既に、ギマール全開!という感じで自由奔放だ。 建物の前でスケッチをした。 それを終えてレストランでランチをし、コーヒーを飲みながら地図を見ていたら、そばにコルビュジェのラ・ロッシュ=ジャンヌレ邸のあることがわかった。 私は大学時代にコルビュジェのイレギュラーカーブについて細かく研究したことがあり、それを通してコルビュジェの建築は私なりに決着が付いたような気がしていた。 それに、ヨーロッパに来たのは建築を辞めて次に何をやるかを考えるのが目的だったので、今さらコルビュジェなんて・・・という気がしていた。 だが、その日は別段やることも無く暇だったので、行くことにした。 ラ・ロッシュ=ジャンヌレ邸('24)は路地の奥にひっそり佇んでいた。 ドアをノックすると若い男が、見学は可能だが有料だと言った。 同意して中に入った。既に若い何人かの建築家の卵が見学している。 いきなり吹き抜けの空間で始まり、天上高は結構高い。 2階に行くと有名な円弧状のスロープが見える。傾斜は1/6くらいで、とても急だ。 白い壁面にコルビュジェのリトや絵が整然と飾られ、ギャラリー然としている。 初期のコルビュジェはこの時点で既に完成していることがよくわかる。 これだけなら「やっぱりそうか」の確認だけで、事件は起こらなかった。 屋上に上がり、屋上庭園を見た。 びっくりした。 それまでとは一変して、庭木がその場に散乱するかのように咲き乱れ、通路とベンチのワイルドな構成、周りの景色と有機的に絡まっている。 コルビュジェはこの時点で既に爆発していた。 時間と共に有機的に変化して行ったのではなく、最初からそれは在ったのだ。 私はコルビュジェを見誤っていたことに気づき、俄然コルビュジェに興味が湧いた、というか、火がついた。 翌日、パリ救世軍本部('33)を見に行った。 可動中でロビーと外観しか見れなかったが、コルビュジェの才気と躍動感は十分に感じ取れた。特にロビー内の変化に富んだ光の採り入れ方や、サッシやガラスブロックの使い方、カラフルな色彩は有機的な感じがした。 スイス学生会館('32)やブラジル学生会館('59)、サヴォワ邸('31)も見た。 そしてとうとうそれだけでは飽き足らなくなった。 私はコルビュジェのすべてを知るために再び旅に出ることにした。 私の April in Paris はこうして終わった。 かずま
by odysseyofiska4
| 2014-04-14 18:43
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