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2013年 08月 31日
「Odyssey of Iska 1984」 25.パリ(5) レ・アールの地下にあるfnacに行くといつも新しい情報が手に入った。 とりわけ重宝だったのはジャズのライブ情報で、ここで私は「New Morning」という店を知った。 この店は歴史は浅いのに、どういうわけかジャズの大物、とりわけレジェンドとしか言いようのない人達がラインナップに並んでいて、毎月のスケジュール表を見る度に驚愕した。 ミュージック・フィーは2500円くらいで、ヨーロッパでは高い方だが(顔ぶれからすれば東京よりは断然安く)、長旅からパリに戻ってくる度に、時間が合えば聴きに行った。 私はここでスタン・ゲッツ、マックス・ローチ、カーラ・ブレイ、アストラッド・ジルベルトを聴いた。 スタン・ゲッツを聴きに行った時は期待半分、不安半分だった。 以前、手抜きのライブをして、「スイング・ジャーナル」で酷評された記事を読んでいたからだ。 不安は的中した。 ゲッツは黒いスーツ姿でジェントルに決め、観客の声援に応えながらスタンダード曲を吹き始めたが、お決まりのコード進行とお決まりのフレーズという感じで、真剣さが伝わって来ない。だいたいロングフレーズが少なく、少し吹くとすぐにサイドメンに渡してしまう。 時折その出っ張り始めた腹を前に出し、反り返っていかにも「テナーを吹いてるぞ〜!」というパフォーマンスをするが、どこか見え透いている。 観客はゲッツの一挙手一動に歓声を送るが、私は正直冷めてしまった。 ボサノバも演ったが、「ゲッツ/ジルベルト」のあの入魂のプレイからは遥かに遠かった。 マックス・ローチはそれよりはマシだった。 きちんと叩いていたし、手抜きはしなかった。 全員スーツにネクタイ姿の正装で演奏した。 ただ、サイドメンも含めて、出来は普通だった。というか、サイドメンは正直どうでもよかった。あの、バド・パウエルやロリンズと競演した、レジェンドであるマックス・ローチしか見ていなかった。 途中で「Moanin'」を演った。その時ローチがなぜだか卑猥な笑いを浮かべた。 そしてその時だけドラミングが雑になった。ブレイキーを意識したのだろうか。 一番よかったのはカーラ・ブレイだった。 スティーブ・スワロー(b)とのデュエットで、けして聴き易くはないがテンションの高い演奏を繰り広げて、おもしろかった。 ただ、とても残念だったのは、演奏の途中で前の方にいた日本人の女性カメラマンが赤ら様にシャッターを押したことで、それに対しカーラは露骨に嫌な顔をして、跳ね除けるような仕草をした。曲が終わった瞬間は拒否反応さえ示した。するとスティーブがマイクを握ってフランス語と英語で諭すように、演奏中の撮影はご遠慮願いたいと言った。これで事なきを得、演奏はそのまま進んだが、私はとても恥ずかしかった。 日本人がほとんどいないライブスポットだったので、余計恥ずかしかった。 アストラッド・ジルベルトは多分二度と聴きに行かないだろう。 あんなに聴いててハラハラした歌手は初めてだった。 声は頼りないし、音程は外すし、聴いててずっとドキドキしながら(がんばれ、がんばれ)と心の中で念じ続けた。 身体に良くない。 私がお金をもらうのなら別だが・・・ パリだけでなく、ヨーロッパを放浪中は至る所でジャズを聴いた。 ロンドンでも、ベネチアでも、マドリードでも、モントルーでも。 でも、パリは一番ジャズが似合う街だ。 もちろん、ニューヨークやシカゴ、サンフランシスコとは違う意味で。 ジャンゴやステファン・グラッペリの時代から独特な匂いのジャズを育ててきた。 その香りは今でも残っていて、パリジャンはそれを文化として深く愛していた。 かずま
by odysseyofiska4
| 2013-08-31 23:18
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