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2013年 07月 14日
「Odyssey of Iska 1984」 23.パリ(3) パリの移動はメトロが便利だ。だからいつもカルネ(10枚チケット)を買って持ち歩いた。黄色のチケットで、1枚当り75円くらいだった。これでほとんどのゾーンは行けるし、少し郊外に行く時はもう少し高いオレンジ色のチケットを買えばいい。 メトロの路線図はとてもグラフィックでわかりやすいので、いつもパスケースの中に入れて時々それを見ながら移動した。 駅の名前も人の名(フランクリン D ルーズベルト、ヴィクトル・ユゴー、エミール・ゾラ、アナトール・フランス、パスツール)や広場の名(バスティーユ、レピュブリック、コンコルド)、橋の名(ポンヌフ、ポンマリー、ミラボー)、有名な建物(オペラ、ルーブル、マドレーヌ、アンヴァリッド)など特徴的で、地上に出れば何があるか容易に察しがついた。 初めてメトロに乗った時に驚いたのは、席に着いた途端(日本ではありえないことだが)トイ面の黒人からバシッと顔を合して見つめられたことだ。隣の人を見ると同様にバシッと見つめて来る。別に私の顔が変だとか危害を加える顔をしているとは思わないが、こうもバシッと目を合されるとこちらも(別に悪いことはしていないので)バシッと見返すことになる。しばらく睨めっこが続き、相手が根負けした時にこちらも力を抜き、同時に目をそらす。そういうことが何度かあった。(パリ以外のヨーロッパの都市でもよくあった) また、メトロを降りて地上に上がる途中には必ず風を遮る開閉扉があり、それを前の人が開けて持っているので「Merci!」と言って代わりに持ち、次の人が「Merci!」と言ってバトンタッチするまで皆持っていてくれる。 最初はなんて素敵なマナーなんだろう!と思ったが、ある時、これは狩猟民族が闘いの中で培ってきた平和を維持するためのチェック機構ではないかと思い始めた。 (それをやらなかった若者を老人が睨み返すのを見て、ますますそう確信した) 先の睨めっこも、狩猟民族時代の相手をチェックする習性の名残と思えば合点が行く。 日本人はマナーが悪いとよく言われるが、要するに平和なのだ。 パリのメトロでは改札口を平気で飛び越えて行く無賃乗車の若者を何度か見た。 それくらいなら駅員も「困った奴らだ」と苦笑いしながら見逃すが、 ある時、必死の形相で構内を逃げ回る若者を見た。 それを追いかける警備員の形相も必死で、唯事でないことはすぐにわかった。 何があったのだろう? あの若者は捕まったのだろうか?・・・・・(たぶん) また、列車が駅に着くといきなり中に入って来て歌や演奏を一曲披露し、お金を集めた後「Merci!」と言って次の駅で降りる若者や、構内の一角でバイオリンやフルートを弾いてお金を集める人をよく見かけた。 こういうアマチュア演奏家に対しパリジャンはとても寛大で、たとえ上手くなくともポケットから気前良くお金を出して帽子に入れた。 さすが、芸術の都は違う! 私はヨーロッパの街はどの街も自分の足で歩いて、身体で感じながら(対話しながら)身体で覚えて行ったが、さすがにパリの街は大きい(と言っても、カルネで行けるメインの部分は山手線の内にすっぽり入る大きさだ)なので、その日見る部分の拠点の駅までメトロで行き、地上に出ると後はひたすら歩きながらパリの街を理解して行った。 私が街を見て行く順序はだいたい決まっていて、最初に地元の人が行くレストラン、カフェ、バー、教会、街の本屋、レコード屋、雑貨屋を見て回り、次にギャラリー、美術館、博物館、ライブスポット、名所と続き、最後に「ああ、ここには誰々の建物があったな」という感じで現代建築も申しわけ程度に見て行った。 建築を辞めようと思ってこちらに来たので現代建築を見るのは少し煩わしかったが、さりとて見ないで立ち去る程嫌でもなかった。(パリに着いた時から、どうせコルビュジェは最後になるだろうと思っていた) パリでは景色の良い四つ角には必ずカフェがあり、楽しそうに語らう人の姿があった。 その前を美人が通ろうものなら、会話はそのままに、目だけは右から左へ全員同じスピードで動いて行った。私はこんな光景を何度も見ながら、 「フランスは「見る」と「見られる」の関係でできてる国だな」と思った。 ロラン・バルトは日本のことを「表徴の帝国」と言ったが、それに習うなら、 フランスは「表装の帝国」だ。 だからファッションが発達し、絵画が発達し、言葉が発達した。 日本は「見てはいけない」国、見ないで想像する国だったので、隠喩や暗喩が発達した。 だが、それにしてもパリは白い。そして美しい。 アンドレ・マルローが文化相だった60年代当時「街を洗って昔の美しさを取り戻そう」と言わなければこうはならなかった。 ポンピドゥー・センターだって彼の「空想の美術館」が始まりだ。 やはり美に対する感覚のある人間を政治の中枢に据えることは大切で、国の見え方が違って来る。 そんなことを考えながら、私はパリジャンが着ている白い服が欲しくなった。 「オー・プランタン」に行った。 そして白いジーンズのジャケットを買った。 黒い皮のジャケットはそれから先パリにいる間は着ることは無かった。 かずま
by odysseyofiska4
| 2013-07-14 22:59
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