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2013年 05月 05日
「Odyssey of Iska 1984」 22.パリ(2) カルチエ・ラタンで安宿を得て間もなく、シャンゼリゼに行った。 別に買物をしようとか、そこが観たかったわけではない。 TCを現金に換える際のレートの良い銀行があると聞いていたのと、JALのパリ支店を手紙の受取先に指定していたので、日本から手紙が来ていないか見に行ったのだ。 1フランが27、8円くらいだった。パリでは長居をすることにしたので、とりあえず5万円を換えた。 JALのパリ支店には日本から2通手紙が来ていた。1通はお袋からで、もう1通は私がK事務所を辞めたことを知った知人からの、自分の事務所への誘いの手紙だった。 たぶん、家に電話をして住所を聞いたのだろう。だが、もちろん私にその気は無く、建築に復帰するどころか日本に帰るのかさえも怪しかった。 お袋の手紙は相変わらずごじゃごじゃ近況や心配事が書いてあった。 どちらも遠い昔か、遠い国のことのように感じられた。 私はどんどん自分が異邦人になっていくのを感じた。 シャンゼリゼ通りはだだっ広いだけで、単調で、少しも感銘を受けなかった。 坂道の勾配も緩くだらだら長いだけで、これなら絶対、表参道の勝ちだなと思った。 遠くに凱旋門が見えたので、そこまで歩くことにした。 門の足元まで来て装飾を見上げていると、突然ガリガリガリという大きな音がした。 驚いてその方向を見ると、門の周囲の道路を迂回している観光バスが小型の乗用車と接触して遠心力で道路の縁に乗用車を押し付ける音だった。 乗用車は少しひしゃげて中から若い男が出て来た。 バスの運転手もバスから降りて来た。 さあ、始まるぞ!! ローマだったら、凄い剣幕で両者が怒鳴り合い、見物人も参加してエライ騒ぎだ!! ところが、二人は二言三言会話をして名刺のようなものを交換するとすぐに別れ、自分の車に戻って発車した。 こんな所で長居をするより、別の時間に別の所で話をしようというのだ。 実にスマートなやり方で、さすがはパリだな!と思った。 お腹がすいたので、ホテルで会ったアメリカの若者から聞いた地元の人が行くレストランに行った。(彼らは「地球の歩き方」のタネ本になった分厚い本を持っていて、そこには旅行者間の情報が詳しく載っているので、安宿や手頃なレストランをよく知っていた) オペラ座の近くの裏通りの2階にそれはあった。小さな看板しか出ていないので確かに旅行者にはわからない。広い階段を上ってドアを開けると、天井の高いホールにイスとテーブルが敷き詰められ、多くの人でごった返している。私もやっと席を確保して座ったが、ギャルソンはたくさんいるのに自分の担当の席にしか来ないので、なかなかメニューがやって来ない。やっと来たので見るとフランス語でしか書かれていない。 ワインと魚とサラダを頼む。目の前の労働者風のおじさんを見ると、フランスパンをムシャムシャ食べながら、ワインに水を入れて飲んでいる。 私の頼んだ物が来た。家庭料理風だ。味は普通で特別美味くはないが不味くもない。 食べ終わってお勘定を頼むと、私の担当のギャルソンが飛んで来て、頼んだ物を口で言いながらテーブルクロス(紙だった)に数字を書き、最後に合計額を書いた。100フラン出すとお札と小銭が帰って来たので、周りの人がやっているようにお札だけ取って小銭は返した。「Merci!」と儀礼的に言って、ギャルソンはテーブルクロスの紙をさっと片付けると新しい紙を敷いた。 (パリでは安いレストランはテーブルクロスは紙で、もう少し高くなるとビニール、もっと高くなると本物のクロスになることがそのうちわかった) Bさんに電話をかけ、次の日合うことになった。 Bさんは大学の研究室の先輩で、フランスに給費留学で来てそのまま残り、当時はI.M.ペイ・パリ事務所でルーブル美術館のガラスのピラミッドの設計監理の最高責任者をしていた。 Bさんはフランス人と結婚してルーブルのそばの高級アパルトマンに住んでいた。 朝10時に行くと、昨日は夜中まで仕事をしていたのでさっき起きてシャワーを浴びたばかりだと眠そうに言った。だが、ガラスのピラミッドの図面(すべてインキングされ、施工図というよりプレゼンの図面のように綺麗だった)を私が見ていると俄然スイッチが入り、これがいかに素晴らしい建物であるかを熱っぽく語り始めた。 ひとしきり語り終えると、「腹減ったな?!飯食うか?!」と言った。 そして近くの中華の店に連れて行った。 店員に向かって何か言い、食事と共にワインが出て来た。 店員がグラスにワインを少し注ぐとBさんは試飲し、「Tres bien!」と言った。 だが、店員が去ると、「不味い!」と叫んだ。 私も飲んだが、どちらでもなかった。 食事をしながら、Bさんはパリの食事は高いと言った。 私は東京と比べて別に高くはないと言った。すると、 「日本にはどんぶり物があるが、フランスにはそれに似た手軽に食える物がない。 結局コースで食うから高い」と言った。 今は裕福だが、給費留学中は苦労したんだなと思った。 食べ終わって(ワインの勢いもあり)元気が出て来た。 「俺は今から事務所に行くけど、途中で降ろしてやるよ」と言って、Bさんはカブリオレのゴルフを駐車場から出して来た。 「今日は天気がいいな。久しぶりに幌を開けるか」と言って全開にしてくれた。 風を感じながらルーブルの庭を通り抜け、ノートルダムの辺りで別れた。 日本からの手紙の受取先はBさんのアパルトマンに代えてもらい、それを受け取るため、その後何度か私はBさんのお宅にお邪魔し、食事を共にした。その度にガラスのピラミッドの図面やモックアップを見せられ、Bさんの熱っぽい話を聞いた。 かずま
by odysseyofiska4
| 2013-05-05 16:04
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