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2013年 03月 23日
![]() 「Odyssey of Iska 1984」 21.パリ(1) リヨン駅で荷物を預けて身軽になり、TCをチェンジして小金を得、解放された気分になった。 駅のカフェで簡単な朝食を済ませ、地図をもらってメトロでサン・ミシェルに向かった。 カルチエ・ラタンに行けば安宿がたくさんあると聞いていたからだ。 地上に出ると、さらに解放された気分になった。道行く人の着ている服が皆、白で、それがパリの白い建物と青い空、緑のマロニエととても良く合っていた。 パリは白い! 特に4月のパリは白い!! それはこれまでのどの街にも感じられなかった解放感だった。 私は心から自由を味わい、弾けた。 ホテル探しは後回しにしてカルチエ・ラタンを味わうことから始めることにした。 サン・ミッシェル通りを歩いた。表参道よりは狭いが同じように街路樹のある坂道でどこかしらよく似ている。 それは自由で活気があるからだ。 表参道は若者が多く、ショッピングやカフェでお茶する人々で賑わっているが、サン・ミッシェル通りは(ソルボンヌ大学があるので)学生と観光客が多く、もっとフランクで親しみやすい感じだ。 カフェや文房具屋、おみやげ屋、ブティック、レストラン、そしてホテルと、どれもが手頃な価格で、私はこれからここをパリでの居場所にしようと心に決めた。 サンジェルマン通りも歩いた。こちらは平らなので坂道好きの私にはサン・ミッシェル通りほどグッとは来ない。それに少しかしこまってる感じだ。 サンジェルマン・デ・プレ教会のすぐそばのカフェ・ドゥー・マゴまで歩いて引き返し、今度はホテルを真剣に探すことにした。 フェリーニの「道(La Strada)」をやってる小さな映画館の隣の隣にこじんまりした小奇麗なホテルがあった。映画が観たかったのと、宿泊代も安かったので、しばらくここに滞在することにした。 部屋を確保すると急いでリヨン駅へ行き、荷物をもらって再びサン・ミシェルに戻り、チェックインした。シャワーを浴びて生き返ると外に出てレストランで食事をした。 こうして私のパリ生活が始まった。 最初はカルチエ・ラタンの探索から始まった。 サン・ミシェルのメトロの駅を上った所に「GIBERT JEUNE」という学生向けの大きな文房具屋があった。私はここが気に入り、いろんな物を買った。 あんまりいろんな物を買うのでレジで女の子から、日本にはそんな物も無いのかという顔をされた。 いや、そうじゃない、俺は単に文房具が好きなだけだと英語で言ったが、通じなかったのか怪訝な顔をされた。 パリで気持ちよくなった私は、ある日、本格的に絵が描きたいと思った。 「GIBERT JEUNE」でF6のキャンバス紙を束ねたスケッチブックと筆とインクを買い、その足でノートルダムまで歩き、大聖堂を筆で描いた。 とても愉快な気分だった。 以後、私はこの大きなスケッチブックと筆とインクを持ち歩きながら、旅先の至る所でそれを広げて描くようになった。 ノートルダムからさらに北へ行くとポンピドゥー・センターがあった。 私はこの建物が大好きで、(カルチエ・ラタンからも近かったので)よく通った。 特に図書館は大好きで、AからZまでアーティスト順に無造作に並べられた本を書庫の床に座って見ているだけで幸福な気持ちになった。 レコードのコレクションも膨大で、シドニー・ベッシュを聴こうとしたら何十枚もあり、「どれにしますか?」と言われて面食らった。 もちろん、館内の美術館はすべて観た。常設展も充実していたが、企画展のそれは尋常ではなく、毎回作られるカタログは厚さが5cmくらいあった。 建物前の広場も異常で、大道芸人のレベルの高さは多分ヨーロッパで随一だった。だから木曜日の休館日も人混みでごった返していた。 ポンピドゥー・センターから西にブールバールを渡るとレ・アールがあり、地下にfnacがあった。 本屋と音楽、映像、カメラ、家電、チケットビューローなどが複合した店で、ここへ行くとパリのライブスポットのスケジュールやヨーロッパのコンサートの情報などがいち早くわかり、よく通った。 レコードも結構マニアックなものがあり、探していた(日本では廃盤の)サラ・ヴォーンの「ライブ・イン・ジャパン」が手に入った。 そこからさらに西へ行くとルーブルがあり、この辺りまでを普段の日常的な縄張りとしながら私はパリの生活を楽しんだ。 四月いっぱいはパリにいて街を探索しようと思った。 かずま ![]()
by odysseyofiska4
| 2013-03-23 09:09
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