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2012年 12月 22日
「Odyssey of Iska 1984」 19.イスタンブール(3) イスタンブールは東ローマ帝国の首都として栄えた。 東ローマ帝国の滅亡は1453年だが、征服したイスラムはさらにこの街を荘厳な街に育て、世界で一番美しい街にした。 それはガラタ橋の袂で周囲をグルリと見渡せばすぐにわかる。 多くのミナレットに囲まれた巨大なドームのモスクが至る所に見える。 ヨーロッパの他の都市では体験できない宗教の香り漂う街だ。 だが、現在は車の排気ガスと船の黒煙で薄汚れた街だ。 ローマと同じだ。過去の遺産で食っている。 現代の物で見るべき価値のある物は何も無い。だったらモスクをひたすら見よう。 始めにガラタ橋の袂にあるイェニ・モスクに行った。 丁度夕方の礼拝の時間で、多くの信者が祈りを捧げていた。とても写真を撮れるような雰囲気ではなかったので、背中とお尻が同じリズムで動く様を後からスケッチした。 建築的に驚いたのは中と外とのギャップで、外から見るととても複雑な泡ぼこの塊のように見えるのに、内部はたった4本の柱だけで、あとは外壁に力が逃げて、とてもシンプルな大空間だった。 な〜んだ、ミースのユニヴァーサル・スペースはとっくの昔にできてたんだ、と思った。 内部はイコンを禁じるイスラム教の教えで幾何学的だが装飾が少なく、少し物足りないくらいだった。その中にあって天井から低くぶら下げられた天蓋のような照明が異彩を放っている。これが無ければスッキリするのにと思う反面、無いと増々殺風景な感じになるのかなと思った。 次にスレイマニエ・モスクに行った。 これを設計したミマール・スィナン(シナン)のことはヨシザカの本で読んでいたので知っていた。このモスクをオスマン建築の最高傑作に挙げる人は多いが、確かに力強い建物だ。これでモスクの様式は完成したのかもしれない。 これをさらに発展させ、ミナレットを増やして華麗にしたのがブルーモスク(正式名はスルタンアフメト・モスク)だろう。確かに夕暮れの中で見たブルーモスクはとても美しかった。だが、なぜか私には完璧過ぎて、惹かれなかった。 洗練されたロココよりもそれを生み出したワイルドなバロックの方に惹かれる、と言えばわかりやすいだろうか。 そのほか、ホワイト・モスク(エユップスルタン・モスク)やファーティフ・モスク、スルタン・セリム・モスク・・・と見て行った。 こうしたモスク巡りをしながら、一方で私の頭の中はイスタンブールを旅立つ日のことを考えていた。 実はこの放浪を始めるにあたって唯一決めていたことがある。 それは30才の誕生日をパリで迎えることだ。 そこから逆算して旅のスケジュールを調整していた。 イスタンブールからパリまでは2日半かかる。 ブルガリアの国境を抜けるためのビザはTさんから既に受け取った。 あとはイスタンブールからユーゴとイタリア国境までの鉄道のチケットだけだ。 イスタンブールのシルケジ駅に行き、時刻表を見せながら、 「この通りに汽車は発車するんだな?」と念を押した。駅員は 「そうだ」と答えた。 私は2等の寝台車のチケットを買い、それをユーレイルパスと共に大切にしまった。 当日はゲストハウスの仲間達にお別れをした後キリムの店にも行って仲良しになった売り子達とお別れをした。もちろんTさんや彼女の息子ともお別れをした。 思い残すことはほとんどなかったが、唯一の後悔は(毎日その前を通りながら)とうとうアヤソフィアを見学できなかったことだ。いつでも見れると思ったのが失敗だった。 だが、また来るかもしれない。いや、アヤソフィアを見に必ずまた来よう。 そう思って駅に向かった。 さよなら、イスタンブール。 そして電車に乗った。(そのはずだった) だが、なんと、私の乗るはずだった電車が今まさに動き出し、駅を離れようとしているではないか! 呆然とその後姿を見送りながら、怒りが込み上げて来た。猛然と駅務室に向って言った。 「なぜ、電車は定刻より前に発車したんだ!?」 「それは今日から時刻表が変わったからだ」見知らぬ男がそう答えた。 私は先日の男の似顔絵を描いて言った。 「こいつがこの時刻で大丈夫と言ったからチケットを買ったんだ。こいつに合わせろ!」 するとその男は似顔絵を見てニヤリと笑いながら答えた。 「そいつは今日は休みだ。そして明日も休みだ」 身体中から力が抜けた。 こうしてパリで誕生日を迎えるという私の夢は呆気なく消えた。 だが結果的にそれは吉と出た。 アヤソフィアと、スレイマニエも2回見れた。 特にアヤソフィアは凄かった。 私はこれまでこんな不思議な建物を見たことがない。それは生成する過程と消滅する過程を同時に見せてくれる、イスタンブールに生息する生き物のようだった。 外観は少し歪(いびつ)で、内部も少し歪んでいて、中央の円蓋は完璧な円でないことはすぐにわかったが、そんなことはどうでもよかった。むしろ、この稚拙さからこの大空間を獲得して行くまでの格闘とそのプロセスがひたひたと身体で感じられた。 一見するとドーム型のモスクに見えるが、よく見るとバシリカと集中式が合わさった教会様式で、それがイスラムに占領された後にむしろ彼らに影響を与えてスレイマニエやブルーモスクが生まれたことがよくわかった。 内部の装飾も所々にビザンチン(東ローマ帝国)のモザイクが残っていて、それとイスラムの文字や平滑なスタッコが合わさって濃密だった。 歴史や文化の入り交じった複雑なスペシャル料理を味わうような感覚だった。 いつまでも味わっていたかった。 建物から出て、夕暮れの中でもう一度振り返りながら思った。 神様はこれを俺に見せるために、パリ行きをわざと一日遅らせたんだな。 イスタンブールの宝物を見て行けと・・・ かずま
by odysseyofiska4
| 2012-12-22 21:50
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