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2012年 06月 08日
「Odyssey of Iska 1984」 15.アテネ アテネに着いた夜は同じホテルに泊まったが、次の日からは3人別々になった。 私はさっそくアクロポリスの丘を上りパルテノン神殿に向かった。 パルテノン神殿は建築を志す者にとってはコルビュジェの「東方への旅」で有名だが、私はむしろ大学の西洋建築史の授業で受けたH教授の熱弁の方が印象深い。 (H教授は中古の車(彼の言では「ボロクソ・バーゲン」)を買って憧れのパルテノン目指し旅した。この話は第1話、第2話・・・と延々と続き、何と授業の半分近くをパルテノン=ギリシャが占めた。そのため、その後のローマ、ビザンティン、ロマネスク、ゴシックは駆け足で、ルネサンスまで行くのがやっとだった。「後は自分で本を読んで勝手に理解しろ!」という凄い授業だった) だが、実際のパルテノン神殿にはコルビュジェやH教授ほど私は感銘を受けなかった。 むしろ、為政者の権威主義的なものを感じて鼻持ちならない気分になった。 付属の博物館を観るとすぐに丘を降り、ランチを食べにプラカに行った。 プラカはアクロポリスの裾野に広がる旧市街で、ごちゃごちゃした中にレストランや土産物屋がたくさんある、私好みの街だ。 通りを歩いてレストランを探した。 イタリアでは感じなかったが、3月の終わりのギリシャはとても温かい。おまけに風が通り抜け、気持ちが良い。 オリーブの街路樹に面したレストランで陽の光を浴びながらランチを採ることにした。 結果は大正解だった。白いチーズが載ったギリシャサラダと肉を串刺しにしたスヴラキ、白いワイン(松脂が入っていた)を飲むとほとんど天国にいるような気分だった。 (以後、私はレストランで食事をする際は屋外の席を好むようになった。それはこの時から始まった習慣だ) 翌日、アテネから電車に乗ってミケーネに行った。 ミケーネに行こうと思ったのは、昔からホメロスの「イリアス」と「オデッセイア」に惹かれていたので、そこに出てくるミケーネがどんな所か知りたかったからだ。また、同じくその物語に憧れ、私財と情熱を投げ打って発掘したシュリーマンの成果を見たかったからだ。だが、実際見たミケーネはそれほどではなかった。私は自分が考古学者には少しも向いていないことを悟った。 ランチは遺跡のそばの屋外のレストランで採った。これまた大正解だった。 帰りにコリントス運河を渡る時、電車がゆっくり走り、深い谷底の運河が見えた。 これを掘った奴らはシュリーマン以上に異常だ。 夕方、アテネに戻ってプラカのアクロポリスに近い山の斜面を歩いていると、「スヴラキ・ザ・ベスト」という変わった名前の店があった。 若い店員に訊くと、ここのスヴラキ・ピタがアテネで一番安いし、美味い!と言う。 まあ、騙された気分で食べてみるかと一つ頼み、食べた。 本当に安くて美味かった。 もう一つ頼み、それをつくる様子を見ながらスケッチをした。 アテネではどこでも英語が通じた。イタリアから来るとビックリだが、その理由はすぐにわかった。ここは観光と海運業、それに農業しかないので、英語が話せないのは死活問題なのだ。 アテネは白い。それはパルテノンに代表されるように大理石が多く、その印象が強いからだが、それだけではなく、土地が痩せてて、緑が少ない(だから逆に目立つ)からでもあった。 こうしたことは実際現地を見て、歩いて、初めて感じ、わかることだ。 私の中でヨーロッパが少しずつ肉化されて行くのを感じた。 かずま
by odysseyofiska4
| 2012-06-08 17:52
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