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2010年 10月 20日
「Odyssey of Iska 1984」 6.ヴェネツィア 明け方、列車はメストレに着いた。 私達はヴェネツィアというと本島のイメージしかないが、こちらも立派な陸側のヴェネツィアで、ここから海に浮かぶリベルタ橋を渡って終点のサンタルチアへ向かうのだ。 このリベルタ橋を列車が渡る時の景色には興奮した。両側の窓の外は海しか見えない。 まるで列車が海の上を走っているようだ。 サンタルチアは小さな駅だが、品があった。水平性を強調したファサードは基壇の上にあり、すぐ目の前にはカナル・グランデが横たわっている。その向こうにはスキー帽の形をしたかわいい寺院があり、工事中のクレーンが修復作業でゆっくり動いている。 駅のインフォメーションで、マップ、ホテルリスト、イベント情報などをもらったが、どれもが充実していてカッコ良かった。しかもきれいな英語で懇切丁寧に応対してくれた。 さすがに観光で生きてる街は違う。 サンマルコ広場に比較的近い安ホテルを予約してもらい、そこまで見物がてら歩いて行くことにした。 初めて歩くヴェネツィアの街路は迷路のようで、何度もわからなくなったが、それが逆に楽しかった。道を間違うことがおもしろいと感じられる街はそんなにあるものではない。 30分程かかって何とか着いた。古い建物で部屋も小さく、ローマのHのアパートとは全然違っていたが、逆にとてもうれしかった。やっと自分のスケールに合った空間に出会えた。 荷物を整理し、シャワーを浴び、再び街へ出た。楽しい探索が始まった。 結局、ヴェネツィアには1週間いた。 カーニヴァルを見るためにヨーロッパ中から人が集まったかのような喧噪で、ヴァポレット(水上バス)はいつも一杯だった。だが、街がうるさいとは少しも感じなかった。 その理由は、交通が船と歩行者のみで、車が無いことから来る静けさと安らぎが街を覆っているからなのだが・・・ しかも海からの風をいつも感じる。 ヴェネツィアは海洋性の国だ。どこかサラセンの匂いもする。窓は軽やかに開け放たれ、色も鮮やかで、異国情緒に溢れている。 私はたちまちヴェネツィアが好きになった。 ローマでいつも感じていた頭痛がいつのまにか飛んで行った。 街の中の至る所を歩き、わざと迷子になりながらそれを楽しんだ。 カーニヴァルもたっぷり堪能した。 中世の仮装行列のような衣装を着込み、仮面を付けた老若男女に街中で出会った。そんな格好の人間に夜中に路地で突然出会うと、私まで中世に迷い込んだような錯覚を覚えた。 そんなゲームを朝から晩までみんなで楽しんだ。 だが、終わりの無い祭りは無い。そして終わりはいつも悲しく美しい。中でもヴェネツィアのカーニヴァルは格別だ。 夕闇が押し寄せ、辺りが深い青に染まる頃、人々は皆サンマルコ広場に集まり、誰とは言わず興奮して騒いでいる。そんな時に突然、対岸のサン・ジョルジョ・マッジョーレから花火が上がり、皆、嬌声を上げながら海辺に出て、花火見物を始める。 日本で見る円形の整った凝った花火とは違い、ヒヤシンスのような形をした単調な花火ばかりだが、島の寺院を明るく照らし、海越しに見えるそれは、とても愛らしく美しい。 夢のような時間だ。 そんな時が1時間くらい続いただろうか・・・やがて人々がソワソワし始める。 夢が終わるのを察知し、胸騒ぎが始まったのだ。 そして最後に連発花火が夜空に舞い散り、すべてが終わった。 その瞬間のどよめきの凄さたるや、 「オオオオーーーーーーー!!!」 全員が叫んだ。 そして長い沈黙の後、誰も何も言わずにゾロゾロ帰り始めた。 こんなにみんなの心が一つになって終わりを迎えた祭は初めてだった。 次の日の朝、ふたたびサンマルコ広場に行った。誰もいなかった。 それどころか、街を歩いても昨日までと嘘のように人がいなかった。 潮が引いた後のように街から人が消えていた。 これには驚いた。 祭の後の白々とした気持ちまでもたっぷり味わされた。 いたたまれなくなり、島巡りをすることにした。 海からヴェネツィアを見たかった。 ビエンナーレの会場になっている、島の外れのジャルディーニにヴァポレットで行った。 ここには私の師のヨシザカとその仲間が若い頃につくった「日本館」があり、ここを訪れることは私には墓参りにも似た思いだった。 ジャルディーニはその名の通り、森のような広い公園で、その中に各国のパヴィリオンが点在していた。その一角に日本館はひっそり佇んでいた。 壁柱が卍のように並び、その上に豆腐のように浮かんだ白い建物は、一見すると地味だが、細部を見るといろいろな工夫がされてておもしろかった。 ヨシザカを思い出しながら写真を撮った。そして、凄い発見をした。 撮るアングルによっては「スカイハウス」に似ている。 私のもう1人のボスであるK氏の自邸は世界的に有名な作品だが、案外ルーツはここにあるのかもしれない。 ムラーノに行った。ヴェネツィアン・グラスで有名な島だが、少し観光化されてる感じで、あまりピンと来なかった。 船でさらに奥に行くことにした。ブラーノ経由でトルチェッロに行った。 鄙びた、何も無い島だが、それがかえってよかった。 昔、繁栄していた頃の教会が2つ残っていた。サンタ・フォスカ教会とサンタ・アリア・アッスンタ教会で、どちらも東からの風(ビザンチンの影響)を感じる。 帰りの船が来るまで他にすることがなかったので、それを観て、日向ぼっこをしながら のんびり時間を楽しんだ。 トリエステにも行った。イタリアと隣国ユーゴスラビアとの国境に近くにあるせいか、あまりイタリアの街の感じがしなかった。どこか閉鎖的で陽気でなかった。 天気のいい日だったが風が強く寒かった。半日程街を歩いて、そそくさとヴェネツィアへ戻った。 1週間いて、さすがに退屈になって来た。 フィレンツェ経由でローマに戻ることにした。 駅に行く途中で、マッコイ・タイナー・クインテットが明後日の夜、メストレで演奏するというポスターを偶然目にした。ヴェネツィアでマッコイのピアノを聴くのも悪くないなと思った。でも、そのためだけに戻って来るのは大変だな、どうしようか・・・ と考えているうちに列車はゆっくりサンタルチア駅を離れていた。 かずま
by odysseyofiska4
| 2010-10-20 21:18
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