フォロー中のブログ
検索
以前の記事
2017年 05月 2016年 11月 2016年 10月 2016年 09月 2016年 08月 2016年 07月 2015年 07月 2015年 05月 2015年 04月 2015年 03月 2014年 11月 2014年 08月 2014年 07月 2014年 06月 2014年 05月 2014年 04月 2013年 08月 2013年 07月 2013年 05月 2013年 03月 2013年 01月 2012年 12月 2012年 10月 2012年 06月 2011年 10月 2011年 06月 2011年 03月 2011年 02月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 その他のジャンル
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
2010年 03月 23日
「Odyssey of Iska 1984」 3.ローマ(1) 結局、ローマのテルミニ駅には2時間以上遅れて着いた。 パリから連絡してはいたが、こんなに遅れたのだから絶対いないだろうと思っていたHと奥さんが駅で待っていたのでびっくりした。大変申し訳ない気持ちで一杯になり、 「ずっと待ってたのか?」と訊いたら、 「いや、さっき来たばかりだ」と言う。 「エッ!?」と驚くと、 「イタリアの列車が時刻表通りに来るわけないだろ?」と当然のように二人が言う。 もう、すっかりイタリア人に成りきっている。 Hと奥さんのローマでの滞在先はテルミニ駅から歩いて10分程の所にある古い建物の一角だった。中庭で佇んでいる人と「チャオ!」と挨拶を交わしながら階段を上っていくと、頑丈な扉の前でHが鍵をカチャン、カチャンと10回くらい回して開けた。不思議そうに見ていると、ローマは盗難が多いので、この手の鍵はポピュラーなのだと言う。 部屋に入ると天井高が半端でなく高いのに驚いた。4m以上は軽くある。ローマの古い建物は皆こうなのだという。だだっ広くて天井高も高いから、部屋の空気がやけに上部に余っているように感じる。 リビングが私に割り当てられ、そのソファベッドで寝た。いつも目を覚ますと高い天井が最初に飛び込んで来て、その違和感で起きた。不思議な感覚だった。 初日はH、奥さんと一緒に市内を軽く見たが、次の日からは一人でいろんな所に出かけた。 最初に出かけたのはバチカンだった。私がローマで一番興味があったのはミケランジェロの建築と絵と彫刻を観ることで、それらがすべて一度にできるのがバチカンだったからだ。 市内見物を兼ねてサンタンジェロ城まで歩き、そこからゆっくりアプローチした。 サン・ピエトロ寺院前のベルニーニの手による楕円の広場は、私には大き過ぎて間が抜けてるように感じた。巨大な列柱の群れも大雑把な感じがした。 もちろん、この広場が大晦日や新年には人々で一杯になり、ローマ法王が世界中の人々にメッセージを発する宗教的な儀礼の場(装置)として成功していることは認める。 だが、そうでない時のこの馬鹿げた空虚感は何なのだろう? ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ サン・ピエトロ寺院も(半日かけて見たが)威圧感に驚くだけで、それほど感動しなかった。中にある有名なミケランジェロのピエタも衣服の襞の技巧が過ぎて、かえって心を動かされなかった。 だが、システィーナは違った。 凄かった。 ほとんど人間業とは思えなかった。 天井の一枚一枚の絵の構図はどれもが完璧で、とても一人の人間が成し得たものとは思えなかった。 ましてや、壁の「最後の審判」は構図のダイナミックさといい、力強いタッチといい、精緻な描写力といい、史上最強の絵ではないかと思った。(私が観た「審判」は修復が始まったばかりの頃で、洗浄で鮮やかな色彩が甦る前のものだが、黒ずんだ色彩が力強く、かえって私にはよかった) 震えた。 身体中で感じながら見続けた・・・ そこへ管理人が「プレーゴ!、プレーゴ!」と大声を上げながら入って来た。 もう、閉館だから出て行け!と言うのだ。 でも、実際はまだ30分も残っている。 何なんだ、こいつらは!と思い、みんなで無視して見続けた。 すると、そばにやって来て顔を見ながらさらに大きな声で捲し立て始めた。 どうやら早くみんなを外に追い出して自分達も早く帰りたいのだ。 何なんだ、こいつらは!またしてもイタリアか! だが、そんなことにはお構い無く、声とジェスチャーはどんどん大きくなって行く。 とうとうみんな耐えきれなくなって、外に出た。 感動が台無しになった。 ミケランジェロに言いつけてやる!!! かずま
by odysseyofiska4
| 2010-03-23 15:28
|
ファン申請 |
||